空京

校長室

建国の絆第2部 第2回/全4回

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建国の絆第2部 第2回/全4回

リアクション



闇龍


 巨大津波が太平洋とインド洋全域に広がっていく。
 沿岸に押し寄せた津波は、高さ数mから十数mにもなり、人も家屋も根こそぎ街を押し流していく。
 その人的被害は、死者数十万人にも及ぶ。

「何だね。このシミュレーションは。予報は外れて、津波なぞ無かったんだろ?」
 地球某所。モニタを見ていた、高級スーツに身を包んだ男が顔をしかめる。
 見るからに学者らしき男が、彼に訴える。
「海底を割った闇龍の威力を考えれば、津波が起きなかったのは科学的に異常です。ぜひ、この件を首相に訴えて…」
「くだらん。資金が欲しいなら、もっと良い言い訳を考えたまえ」

 本来なら未曾有の津波被害をもたらしていた闇龍の海底破壊は、皮肉な事に、ナラカ城でその威力を食い止めたが為に、地球でもシャンバラでも、たいして人々の注意を引いていなかった。

 もっとも、異世界の海の底など知らぬ事でも、みずからの頭上を埋める異常な黒雲はシャンバラの人々の恐怖と不安をかきたてる。


「闇龍が現れてからというもの、風景画を描くのに黒の画材がやたらと要るようになったわね」
 ヴァイシャリーの公園では、百合園女学院の美術教師ヘルローズ・ラミュロスがぼやく。
 写生の授業で、公園を訪ねたのだ。
 美しい風景も、空に不気味に広がる闇龍のおかげで台無しだ。
「いっそエリュシオンにでも追い払ってしまえばいいのよ、あんな黒蛇」
 ブツブツ言いながら、闇龍の広がる空を描く。
 その白いキャンバスに、赤い血がしたたった。ヘルローズの指先が切れたのだ。
「あー、もう!」
 彼女は血の出た指をなめると、そこを離れ、生徒達の様子を見に向かった。


キャンプ・ゴフェル包囲

 シャンバラ教導団本校、校長室。
 偵察隊の報告を受けた団長金 鋭峰(じん・るいふぉん)は、地図を前にしかめっ面をしていた。
 卓を挟んで反対に座る百合園女学院生徒会執行部・白百合団の団長桜谷 鈴子(さくらたに・すずこ)も、いつになく厳しい表情だ。
 地図に描かれているのはヒラニプラ山岳地帯。シャンバラ教導団のお膝元である。故にそれは、かなり正確なものだった──少し前までは。そう、キャンプ・ゴフェルが突如復活するまでは。しかも、偵察隊の報告及び本校の調査で得た情報を総合するに、復活したのはキャンプ・ゴフェルの一部に過ぎないらしい。
 キャンプ・ゴフェルのほぼ中心には核兵器並みの威力を持つ殲滅塔があり、周囲には殲滅塔を運用・支援するための施設が揃っている。
 問題は、その施設だ。偵察隊がフェンスと鉄条網の向こうに見たものは、大砲だった。
「大砲だなんて……。相手が人間であれば、兵糧攻めにでもできるのでしょうけれど」
 予想外の展開に、鈴子は思わずため息をつきそうになる。
「こうした事態に当たるための教導団、ご心配なく」
 連合という名が付いてはいるが、その主力は紛れもなくシャンバラ教導団だ。
 そもそも教導団の生徒数は七万。波羅蜜多実業高等学校の破格の百万という数字を除けば、次点は蒼空学園の二千五百で、動くのが第一師団だけとはいえ、圧倒的に多い生徒を擁する。更に彼らは皆、訓練された軍人だった。最近創設された女王を守るための組織クイーン・ヴァンガードや、自警組織の白百合団とは全く違う。……全く違う、事態だった。
「基地を守ることを使命としているということは、こちらにとって幸いだ」
 というのも、同じ山岳地帯にあるとはいえ、キャンプ・ゴフェル周辺は標高が高く岩がちで、乾いた大地に草木がぽつぽつとあるだけだった。細長い隊列や遮蔽物がないことが、戦闘開始までは不利な条件にはならないのだった。それに包囲するだけの余裕がある。

 出発までの準備に追われ、慌ただしい教導団だったが、ファイディアス・パレオロゴス(ふぁいでぃあす・ぱれおろごす)は小走りの団員達の間をゆっくりとした足取りで抜け、牢屋を訪れていた。彼の隣にはパートナー大岡 永谷(おおおか・とと)がいる。
「診察に参りました」
 ファイディアスは見張りに通して貰い、先の戦いで怪我を負った鏖殺寺院の兵士達の採血や採尿、検査と称して髪を取る。検査は嘘ではないが、彼らの体調を気遣ってのものでもない。診察を早々に引き上げ、自室に戻る。
「どうだ?」
クレア殿の説が正しいのであれば、反応がある筈ですが……」
 ファイディアスは血やら毛を色々な薬品に浸したり、加えたりして試験管を眺めていたが、何も反応はなかった。
「診察時も特別な様子はございませんでしたし、薬物や暗示による洗脳の線はないようでございますね……残念です」
「自分の意志で寺院に参加してたってことか」
 永谷は、彼らにとってどっちが良かったんだろうか、と思った。
 ただ、どちらにしても、これは第一師団技術科少佐カリーナ・イェルネについて考える材料のひとつにはなる。
 二人は友人に調査結果を告げに、部屋を出た。

 やがて、準備が整い各校連合は本校を出発した。
 まず工兵が先行し、キャンプ・ゴフェルのセキュリティに見とがめられない位置まで進路を確保、一定間隔で補給地点を設ける。補給部隊が物資を運びつつ、主力になる歩兵が進軍する。
 輸送科士官候補生レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)は、キャンプ・ゴフェルに最も近い補給地点で、周囲に油断無く目を配っていた。
 補給地点とは言っても随分お粗末なものだ。時間はなく、充分な建材もなく、簡易テントには積み上げられた箱の山。
「これはどこに置けばいい?」
 レジーヌに頭上から問いかける者がいる。
 ヘキサポッド・ウォーカーに乗った機甲科の夏野 夢見(なつの・ゆめみ)が、横に乗せた物資を指さしていた。
「あ、あの……弾薬はあちらへお願いします」
「分かったー。それにしても、補給だけでも大変だね」
 機甲科の夢見は、山岳地帯では大した出番がない。彼女はそれで補給を手伝うことにしたのだが、正解だったようだ。
「……ええ。ここでは車も途中までしか使えませんし……。だからこんなことになっているんですね」
 レジーヌは、一つのテントを示した。その中では、兵士達が兵器の組み立てにいそしんでいる。
 それは山砲──野戦用の大砲の一種──と呼ばれるものだ。相手が大砲を使ってくるのに、こちらがアサルトや小型の迫撃砲では心許ない。だから軽量な部品を携行可能なレベルに分解し、兵士一人一人に持たせて、戦場で組み立てているのだった。
「砲兵科も大変だねぇ」
「人ごとではありませんよ」
 夢見に随伴する恋人フォルテ・クロービス(ふぉるて・くろーびす)が、注意する。彼はイルミンスールのスカーフを顔に巻き付けて美形を台無しにしていた。
 これは敵の毒物などによる襲撃を警戒してのことで、二人は輸送を手伝うと共に、作戦を邪魔する者(それには、殲滅塔使用反対派も含まれた)を警戒・無力化するつもりでいた。
「どこに作戦を邪魔する輩がいることか」
 レジーヌはそれを聞き、心の中でやっぱり顔に出すまい、と思う。今回の作戦に参加する教導団員の多くは、殲滅塔の使用に賛成だった。心から賛成する者もいれば、上官に従うのが当然だからという者までそれぞれだ。レジーヌ自身は、少数派である反対派。職務は職務で全うするつもりだったが。
 ……どことなく漂う緊張を破ったのは、レジーヌが反対する理由の一つだった。
「ねぇねぇ、お昼にしよーよー!」
 レジーヌのパートナーである機晶姫エリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)が、戦闘糧食の入った段ボールのパックを抱えてやって来る。
「お嬢さん、お昼には早いですよ」
「腹が減っては何とやらだよー。補給部隊だって、戦線の確保をするんだもんね」
 レジーヌは、パッケージに描かれているのが、故郷である美食の国ではなく、犬猿の仲でメシマズで有名な国を元にしたモノで有ることに気付いて微妙な顔をした。だが、エリーズ的には、満足だ。というのも昼食はアフタヌーン・ティー・セットになっていて、やたら甘いチョコプディングが入っているのだった。
 勿論、携帯食料なので味は“それなり”だ。もう少し後方に行けば、ちゃんと食事を作る設備があるのだが、前線ではその余裕はない。
「みんなの分のお昼も、後で手配してくるねー」
 言いながら、教導団員はともかく他校生の口に合うだろうか、とエリーズは思った。