空京

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創世の絆 第一回

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創世の絆 第一回

リアクション


ニルヴァーナの地を探索する:page08


 武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)が危惧していた事態にはならなかった。ただ、実感できていない、という様子のリファニーの表情はあの時の熾天使の想いが届いていないのかもしれないという不安に思わせた。
「父か、私にも父がいるのだな」
 そういう彼女の口調は、もっと別の、まるで何かの物語について語るかのようで、そこには不安も悲しみも何も読み取れない。
「リファニーちゃん……その……」
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)もこの反応に少し困っているようだ。
 落ち込んだり悲しんだりしないリファニーは、それから続けて教えてくれたありがとう、と平然と言う。
「あ、いや、それはいいんだが」
「何か?」
「いえ、少し、淡々とし過ぎているかなと」
 灯に、リファニーは腕を組み目を閉じて、少し考えるような時間を作った。
「ええ、たぶん私はその話を理解できていなのだと思います。その、父という人物について、私は何も思い出せないので。その人には……父には悪いとは思いますが」
「理解できて、いないというのですね。ではせめて、その事を覚えておいてあげてください」
 セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)に、リファニーはええと頷く。
「んー」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありませんの」
 セルフィーナは、彼女の脆さを垣間見たような気がした。真面目で冷静で判断力もある立派な人格だが、それは模範的とも取れる。彼女がそれを自覚しているのなら別にいいのだろうが、たぶん無自覚に計算問題を解くように必要な答えを選んでいるように思える。
 記憶という彼女自身を肯定するものが曖昧だから、心を守るための壁なのだろう。だから彼女はある意味ストレートに、理解できないと言ってしまえるのだ。それだけ分厚い壁に守られた心は、それ相応に脆い。
 しばらくは、彼女を色んな角度から見守っていく必要があるだろう。友として仲間として、時に保護者や競争相手として―――そういう関係を作っていけば、自然と彼女の心も少しずつ強さを取り戻すはずだ。
「あ……」
 リファニーの態度に、何て言葉をかければいいか悩んでいた魔装侵攻 シャインヴェイダー(まそうしんこう・しゃいんう゛ぇいだー)は、視界の端にこちらに向かって歩いてくる姿を見つけた。
 蔵部 食人(くらべ・はみと)だ。目つきの悪さからか、とても真剣な表情をしているように見える。
「えぅ」
 とてつもない嫌な予感がヴェイダーを襲う。
「ど、ど、どうしよう」
 その原因は食人で間違いないのだが、あまりにも颯爽とこちらに向かってくる様子から謎の注目を浴びてしまっており、なんだか話しかけにくい。とはいえ、彼をこのまま放っておいてはいけない気もすごくする。それはもう、朝家を出る時に、靴紐が千切れるぐらいの不吉さだ。
 食人はリファニーの前でぴたりと立ち止まると、じっと彼女の目を見つめた。
「何か?」
 リファニーも、怯むことなく食人の目を見返す。
「君のことが気になっている。今夜俺と一緒に寝ないか? 大丈夫、君の体に興味があるだけだから」

 食人には、疑問があった。
 それは、熾天使はどうやって眠るのかだ。熾天使の証でもある、六枚の金属の羽はどう考えても眠る時に邪魔になるはずだ。なにせ、金属である。堅いのだ、当然寝袋には収まらないだろうし、一体どうやって眠るだろう。鳥のように、立って寝るのか。もしくは、少し苦しいような気がするか、うつ伏せなのかもしれない。
 この探索の間、その疑問がずっと食人の頭から離れなかった。見れば見るほど、疑問は増すばかり。
 考えに考えに考えぬいて、直接聞くしかないと決断した。
 しかし、就寝に関わる話を気軽に尋ねて、気軽に返ってくるとは思えない。もはや、この問題は食人の中では、とてつもなく大きな疑問となっているが、しかしあまりに無礼を働くわけにもいかないだろう。
 変人扱いされるのも、困り者だ。
 巡り巡った彼の思考がいきついた果ての言葉は、ああなったのである。
 結果として、その場にいた女性陣に総攻撃をされた。
「ま、待って、トドメは刺さないであげて」
 ヴェイダーが慌てて説得したおかげで、大惨事になることは辛うじて避けられたのだった。



 少しずつ埋まっていった地図を頼りに、水晶森の探索は順調に進んでいった。
 やらなければいけない仕事が山ほどあるから、と実際の探索は参加者に任せ、こんなところでも事務仕事に追いかけられている長曽禰 広明が、少し疲れた顔でテントの外に出ると、探索に出ていたリファニーらが戻ってきたところだった。
「また何にも出てこなかったね。強敵……気になるなぁ、本当にいるの?」
 一緒に戻ってきた飛鳥 桜(あすか・さくら)が、水晶森を振り返る。
「マスター」
「わかってるよ。大丈夫、ちゃんとわかってる。見つけたら逃げる、そうだよね。でもさ、やっぱり気になるじゃん?」
 その会話は何度も繰り返されたのだろうか、ミスティア・ジルウェ(みすてぃあ・じるうぇ)が一言った以上は何も言わなかった。伴にいるリファニーも、頷いている。
「でも、気になりますね。その強敵について、リファニーさんは心当たりがあるのでしょう?」
 強敵が居る、そう言い出したのはリファニーだ。火村 加夜(ひむら・かや)がそういう疑問を持つのも当然のことだろう。
「ちょっと空から見てみたけど、特に大きな生き物は見当たらなかったんだよねぇ」
 ノア・サフィルス(のあ・さふぃるす)は自分の顎に人差し指をあてながら、空を見上げた。
 イレイザーとの戦闘を経験したり、情報を確認すれば巨大な生き物が強敵であると考えるのは自然な成り行きだ。だが、巨大な生き物どころか、生物と呼べるものは水晶森での発見は少ない。目撃はあっても、捕獲までは至っていない。
「もしよろしければですけれど、その強敵について何かご存知なことはないのですか?」
「それは、俺もその話を聞きたいな」
 長曽禰はそう言って、その輪に入っていった。
 一応は立場のある人間なので、緊張した空気が流れる。慌てて、笑みを浮かべて「ああ、そんな堅くなるな」と付け加える。
「一度俺も聞いたんだがな、その時はわからないという返事だった。けど、調査を始めてしばらくたったし、何か思い出せたかと思ってな。というわけで、どうだ? 何かわかったか?」
「すみません。はっきりと、こういうものと答えられるものはありません。ですが……」
 彼女の目が、水晶森の入り口に向かう。きらきらと光が飛び交う水晶の森は、なにかの信号を送っているようにも見える。
「ですが、なんでしょう?」
「あ、はい。知っている……ような、気がします。それは、とても恐ろしい、そう、とても恐ろしいものです」
「知っているような、か。一歩前進したな」
 ふう、と緊張を解くように長曽禰は息を吐いた。
「帰ったばかりで足止めして悪かったな。少し休息を―――」
 長曽禰の言葉の途中で、何かが割れる音がした。大きな音ではないが、その場に居た全員がその音をはっきりと聞いた。
「あ」
 神楽 授受(かぐら・じゅじゅ)が一番最初に、音の原因に気付いた。
 彼女がリファニーにプレゼントした、腕輪が一人でに砕けてしまったのだ。その腕輪には、危険を察知できる結界が施されていた。
 それと同時に、エマ・ルビィ(えま・るびぃ)の体調に変化が起こる。息が浅くなり、思考が定まらなくなり、体が小刻みに震え始める。
「先に謝ります。すみませんっ」
 リファニーが、授受の頬をちょっと強く叩いた。
「あ、あれ? 私……」
 叩かれた頬を押さえながら、エマは状況が飲み込めないといった様子だった。それは、そこに居た全員が同じだった。何が起こっているのかを、今この場面で確実に把握している人は誰一人としていなかったろう。
「……この感じは」
 違和感を感じ取ったのは、一人二人ではなく、その場に居た全員だ。それぞれが、視線を合わせて頷いたり声をかけたりしつつ、この状況を段々と理解する。
「もしかして!」
 飛び出そうとした桜の手を、ミスティアが掴む。
「ちょっと確認するだけだって」
「いけません、マスター。これは、この妙ななにかは……」
 ミスティアは経験した事が無い感覚に襲われていた。人間ならば、それは恐怖と簡単に説明がつくだろうが、しかしココロを知らない彼女にはそれが何かを判断できない。不安が表情に出ることもなく、またそれが不安だと理解することもなく、ただ腕を掴む力になって現れる。
「い、痛いよ」
「! すみません、マスター」
 驚いたように、ミスティアは手を放した。
「……っ。やはり、この感覚は、私が知っているものです」
 リファニーは今までにないほど険しい表情をしていた。
「まさか、本当に出てくるとはな。このまま無事に終わるとばかり思っていたが、今すぐ部隊を―――」
「いけません。先ほどの彼女を見たでしょう? 近づくだけで、恐怖に飲み込まれます」
 エマが申し訳なさそうな顔をしている。だが、それは別に彼女のせいではない。
「しかし、ならどうする?」
「私が、私が時間を稼ぎます。その間に、一人でも多くを逃がしてください」
 その言い方は、全員で逃げられないと言っているかのようだった。確かに、この異常な気配を相手に、まともに逃げ切ることすら難問に思えてくる。幸い、この垂れ流しともいえる敵意は、才能や技術がなくても、おおよそその場所を教えてくれている。
「わかった。大人数で行くのは危険だということだな……だが、調査に出ている連中を全員無事に帰すのも俺の仕事のうちだ。それには、リファニー、お前も含まれている。お前が無茶をし過ぎないように、俺も行く」
「死にたいのですか?」
 誇張でもなんでもなく、リファニーは来たら死ぬと宣言していた。恐らく、その敵との距離はかなりあるはずだ。それでなお、この威圧感はそれだけ強大な敵であるのは間違いない。
「あまり脅さないでくれ、俺もこれが尋常ではないことぐらいは理解している……俺のパワードスーツがある、これを着ていけば、足手まといにはならないだろう」
「……いいでしょう。ただし、私は無理だと判断したらすぐに逃げます。最悪、あなたも自分の身だけを優先してください」
 長曽禰は頷いた。
「部隊に撤退の指示を出して、俺のパワードスーツを用意するのに五分……いや、三分で準備を済ませる。それまでは、一人で先に行かないでくれ」
「わかりました。私も、一人で行きたいと思っているわけではありませんから」



 乱れる息を無理やり制して、桐生 円(きりゅう・まどか)は自身の気配をできる限り殺した。迷彩防護服はあるが一人用で、今は貸し出している。こちらに気付かないように、と祈るのが現在の精一杯だ。
「……助かったわね、興味が別に移ったみたい」
 偵察に出ていたオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が戻ってきた。興味が移ったというのはつまり、アレに誰かがちょっかいを出したという事だろう。できれば逃げるべきだと思う。
「そっちは、大丈夫?」
「なんとか、息はあるよ。大丈夫、出血は多いけど、止血はしたから……だから、ね、そんな顔してないでさ」
 今にも泣き出しそうな、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)に言葉をかける。
 彼女の膝に頭を預けた樹月 刀真(きづき・とうま)の姿があった。意識はないが、息はしており死んではいない。肩から胸にかけて血が広がっている。
「……あの時、一体何があったのかな?」
 その場に居たはずの円が、オリヴィアに視線を向ける。あの時、すぐ近くから咆哮が聞こえた途端、水晶森の奥から巨漢が敵意を持って現れた。
 それからは、一瞬だったように思う。その強烈な敵意に気おされた。それは刀真も同じだったようで、ほんの僅かに初動が遅れた。幸いにも、経験を積んだ二人には完全に恐怖に飲み込まれる事が無かったのだ。
 それから、刀真がその巨漢に向かっていった。巨漢は背中にいくつもの剣を背負い、それとは別に両手に剥き身の剣を持っていた。数えて三合打ち合って、気がついたら刀真が吹き飛ばされて水晶に突っ込んだ。
 無理、と判断したのは三人同時だったろう。月夜とオリヴィアがそれぞれ、人間サイズの相手に遣うには危険な弓を放って足止めをし、その間に円が刀真を、砕けた水晶の中から引っ張り出して撤退した。
「……とりあえず、あれがギフトではないのは確かだね」
 邂逅はほんの一瞬だったが、あれが敵意の塊であるのはよくわかった。こちらを試す、なんて心積もりは微塵もなく、壊すつもりだった。たぶん、リファニーが口にしていた強敵というのだろう。
「信じられないよ、刀真がまるで子供みたいに……」
 強敵の強さを、刀真が見まがうことはなかった。破壊の限り尽くすつもりで、タガを完全に外して向かっていったのだ。あの瞬間の彼は、イコンですら相手にしなかったはずだ。
 それが、時間稼ぎすらさせてもらえなかった。
「……ぐっ」
「と―――むぐっ」
「ごめんないね。あんまり大きな声を出してもらいたくないの」
 名前を叫びそうになった月夜の口を、オリヴィアがとっさに塞ぐ。こちらに興味を失ったとはいえ、まだ敵は近くに居る。
「……ああ、よかった。誰も、死んでない」
 目を覚ました刀真は、その場にいる三人の顔を見て笑みを浮かべた。
「一番死にそうなのに、何言ってんのよっ!」
 月夜は勤めて小さな声で、怒る。
「……はは、そうだな」
 起き上がろうとして、刀真は自分の傷に気付いた。既に手当ては施されているが、痛みが消えるわけではない。
「思ったよりは、軽症だな」
「だからって、また向かって行くのは無しだよ。オリヴィアの弓も使い切っちゃったし、それに」
 刀真にも見えるように、円は横に一歩それた。そこには、エミリア・ヴィーナの姿がある。
「全員撤退ですわ。インテグラルには手出してはなりません」
 エミリアはそう告げる。
「インテグラル? アレの名前か?」
「少佐がつけた名前だけどね。強敵とか、おっさんとか言うよりはマシかな。それと、ギフトらしきものも発見されたらしいよ。危険を冒して先に進む理由も無くなちゃったね」
「そうか……了解した」