空京

校長室

創世の絆 第一回

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創世の絆 第一回

リアクション

 自己紹介が進み、大分輪の雰囲気がこなれてきたころ。料理の第二陣が到着した。
「お待たせして申し訳ありません」
 メティスが番号札の順にハンバーグとサラダのセットを配っていく。
「今、アップルパイも焼いています。もうじき焼きたてが届くと思いますから、もしよろしければ食後にそちらも味見してくださいな」
 そう話す彼女の後ろの方ではが、やはりおいしそうなにおいのするカレーライスを配膳している。
 なぜあの材料でこんないいにおいのするカレーができているのか、料理係のだれもが疑問に思ったが、あえて訊こうとまではしなかった。だってそう言ったら「食べてみる?」と言われかねないし……材料を知っている者としては、まぁ、あまり口に入れたくはない。ただ、口にしただれも顔をしかめたりしなかったし、苦情を言ってくる者もいなさそうなので、おいしいのだろう、きっと。うん。
 謎は謎のままにしておいた方がいいことだってある。
「みんなー! お菓子がほしい人はこっちへ集まってー!!」
 秋月 葵(あきづき・あおい)がマカロンやシフォンケーキが山盛り入った大きなかごを両手で抱え持って声を張り上げた。
 それらはすべて、ちゃんと1人ひとりが手にとりやすいように、リボンとセロファンでラッピングされている。
「どれでも好きなのを取ってね!
 あ、これはアールグレイのシフォン。緑色のリボンがついてるのはコーヒーシフォンで、赤色のがオレンジシフォンだよー」
 覗き込んできた者たちに、にこにこ笑顔で説明をする。
「まだまだあるから、遠慮なく持ってっていいから!」
「あ、じゃあ、遠慮なく……」
 シフォンとクッキーの袋を2つずつ持った黒髪の青年が、ふと葵を見つめる。
「私、黒河 尚人(くろかわ・なおと)といいます。あの……」
 彼が何を言わんとしているのか気付いて、葵は答えた。
「私、秋月葵。ロイヤルガードとかやってるけど、気兼ねなく葵ちゃんって呼んでくれると嬉しいな♪」
「葵……ちゃん、ですか。では、私のことは尚人と呼んでください」
 尚人は見るからにほっとした表情で言うと、おとなしく後ろについて待っていたパートナーの少女白河 明日奈(しらかわ・あすな)に手のなかのお菓子を手渡した。
「ほら、明日奈の分」
「うん。ありがと」
「お礼は私じゃなくて、葵ちゃんに言わないとねぇ」
 明日奈はひょこっと尚人の横から顔を出し、葵を見た。
「葵さん、ありがとうございます」
「どういたしまして!」
 そこに、にゅっとティーカップが乗ったトレイが差し出される。葵のパートナーのエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)だ。
「葵ちゃんのパートナーのエレンディラです。よろしくお願いしますね」
「どうも、黒河 尚人です」
「よろしかったらお飲み物に紅茶はいかがですか? そちらのシフォンには、こちらのダージリンがとても合うと思います」
 百合園女学院・紅茶研究会に所属しているエレンディラは、どの紅茶がどの食べ物を一番引き立てるか、熟知していた。また、それぞれの茶葉に合った、最もおいしい入れ方をしている自信もある。
「明日奈さんがお持ちのマカロンには、オレンジペコーが良いかと」
「あ、じゃあいただいていきます」
 尚人はエレンディラが薦めるままにトレイのなかのカップをソーサーごと取り、席へ戻って行った。
「ホットじゃなくてアイスがほしい人はこっちだよー」
 神楽 祝詞(かぐら・のりと)がステンレスのポットを軽く振りながら周囲に軽く声がけをした。カラカラとポットのなかで氷が揺れて当たる音がする。
「あの」
 と、すぐに後ろから声をかけられた。
「お水、もらえますか……?」
 聞くからに弱々しい、控えめな声だ。振り向くと、おさげ髪の少女がうつむき加減に立っていた。
「きみ、大丈夫? なんだか顔色悪いみたいだけど」
 周囲の暗さのせいじゃないよな? と、祝詞は顔を近づけた。あきらかに顔が青白い。
 いくら周囲に同じ状況に陥った者が大勢いるとはいえ、こういった突発的非常事態に慣れていない彼らの気分が悪くなっても全然不思議はなかった。
「向こうでちょっと横になる? 薬もあるよ?」
「いえ、平気です……あの……私は大体いつも、こんな感じで……」
 そう答えたきり、少女はうなだれてしまった。
 そんな少女の様子を見て、祝詞はふむ、と思案する。
「ね? まだ言ってなかったね。僕は蒼空学園の神楽 祝詞。それで、こっちがパートナーの弐来 沙夜葉」
「わ、私は蒼空学園の弐来 沙夜葉です。よ、よろしくお願いいたしますねっ」
 それまで祝詞にぴったりくっついて、茶うけにとひと口ケーキを配っていた弐来 沙夜葉(にらい・さやは)が、名を呼ばれてあたふたとあいさつをした。
「何か分からないことがあれば遠慮なく訊いてね。……まあ、とはいっても僕もまだこっちへ来て1年経ってないから、あまり詳しいことは無理だけど」
 穏やかに告げる。はるかにずっと手練れた先輩というわけでなく、むしろ自分たちに近しい先輩――それが警戒を解いたのか、少女はおずおずと顔を上げた。
「……イ、イルミンスール魔法学校のミッシェル・アシュクロフト(みっしぇる・あしゅくろふと)、です」
「ミッシェルさん。これからよろしく」
「あ、はい。こちらこそ、よ、よろしくお願いします…っ」
 ぺこっと頭を下げる。会釈ではない、深々と身を折るおじぎだ。
「いや、そんな、そこまで畏まらなくても――」
「まったくですわ、ミシェル。あなた、少しあせりすぎですわよ」
 少し離れた後ろで様子を見守っていた、見るからに気品と優雅さ、自信を兼ね備えた少女があきれたように言葉を発した。
「で、でも、ケイト〜」
「そんななさけない声を出さない。だれもかれもが何もあなたをとって食おうとしているわけではありませんわ」
 すれ違いざまそう言い置いて、彼女は祝詞の前に立つ。
「お初にお目にかかりますわ。アラゴン王フェルナンド二世とカスティーリャ女王イザベル一世が末子、英国国王ヘンリー八世王妃キャサリン・オブ・アラゴン(きゃさりん・おぶあらごん)と申します。以後お見知りおきを」
 美しい礼をする彼女に、ああ英霊なのか、と納得した。とても16〜17歳の少女が持つ威厳ではないと思っていたから。
「神楽 祝詞です。よろしく」
「さあミッシェル。何か訊きたいことがあったのでしょう? ついでに訊いてしまいなさい」
「え? で、でも……」
「なに?」
「あ……あのっ、えっと……こちらには、妖精の国や悪魔の国があるってきいたけど……本当なのかしら? って……思って……」
「ああ。それならあるよ」
「えっ!」
 引っ込み思案な子にありがちで、ミッシェルもまたファンタジックな空想好きの少女だった。地球にいたころからいろんなファンタジー小説を読みあさって、羽のある小さな妖精や、美しくそれでいて残酷な悪魔の姿を想像してはふけっていた彼女は、夢見ていた世界が現実にあると知って、とたん笑顔になる。
「ほ、本当ですか?」
「ここにも何人かいるんじゃないかな」
 ミッシェルの素直な反応に、ほほ笑ましい思いで祝詞は答える。
「出会えるといいね」
「あ……ありがとうございます。ありがとう――」
「さあこれで疑問も解決しましたわね。席に戻りますわよ」
 ミッシェルはキャサリンに引っ張られるようにして去って行く間じゅう、ぺこぺこと頭を下げていた。
「なんだかちょっと線の細い人ですね。影が薄いというか……」
「うん。それに少し顔色も良くなかった。あまり具合が良くないみたいだから、なるべく気をつけていてあげよう」
「はい、祝詞さん」
 沙夜葉はうなずいた。
 実際、この状況に強い不安感を感じているのはミッシェルだけではなかった。一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)もまた、その1人である。
 彼女は必死に我慢していた。知られたら、みんなに迷惑をかけてしまう。それくらいなら我慢する方がいい。我慢することには慣れていたから。というより、何が起きてもまず最初に我慢することを選ぶのは彼女にとって息をするように至極当然のことだった。だから今も黙って正座をして、膝の上でこぶしを固めることに集中することでなんとかこの状況に耐えている。
 ああでも、気分が悪い……。
「あらあら。どうなさったの?」
 そんな楽しげな声がふと聞こえてきて、悲哀は面を上げた。銀色の長い髪をポニーテールに結った、妖艶な美女が見下ろしている。
「あなたは……」
「あたしはティア・イエーガー(てぃあ・いえーがー)。よろしくね、新入生さん。
 まぁ。全然食べておられないのね。食欲がない?」
 言われて、悲哀は自分の前の紙皿を見た。手つかずのサンドイッチがそのまま乗っている。時間が経ちすぎたか、少しパサついてきているようだ。けれど、何もないそぶりを見せるためだけでも、それを口元に運ぶことはできなかった。においを嗅いだだけで吐いてしまいそうだ。
 そんな悲哀の様子に、それと見抜いたティアは口角を上げる。
「うふふ。まぁ仕方ありませんわね。ここはニルヴァーナですもの。――ねえ? あなたご存じ?」
 と、ここぞとばかりに彼女の耳元へ顔を近づけた。
「ニルヴァーナはそれはそれはものすごく恐ろしい土地らしいですわよ? なんでも、もう食べられちゃった人もいるらしいとか?」
「ええっ? で、でも、ティアさんは、そのぅ……怖くないんですか?」
「あら、あたし?」
 ティアは目を細め、ふふっと笑う。
「だってあたし、こういったことはそこそこ経験してきてますもの。案外、その食べられたかもしれないというコは経験値の足りない、あなたのようなコだったのかもしれませんし。――ふふっ。そうですねぇ……あなたのような何も知らないコは、簡単にパクッと食べられちゃったりするかもしれませんわね」
「そんな……っ、か、からかわないでください……」
 あごに触れた指から逃げるように、悲哀は顔をそむけた。
「あら? 見知らぬ化け物に食べられるのは怖い? ではあたしが食べて差し上げましょうか?」
 嘘とも本気とも言えない言葉で顔を寄せてくるティアから精一杯身を退いて距離をとろうとする悲哀。こういうとき、どうしたらいいか皆目分からない。
「そのくらいにしたまえ。怖がらせたところで何の益もないだろう」
 背後から不快げな声がして、ティアがぴたりと動きを止めた。
 紳士的な外見をした青年が菓子の入ったバスケットを手に立っている。その持ち物とは裏腹に、金の瞳に浮かんでいるのは冷徹な光――。
 そしてすぐ後ろには、パートナーの清良川 エリス(きよらかわ・えりす)の姿もあった。
「あら」
「こ、こんな所で何してはるんどすか、ティアはん」
 エリスは内向きな少女で、普段なら決してこんなふうに強気で声を荒げたりはしないのだが、相手が見るからに世事に疎そうな、いたいけな新入生ということに奮起しているらしい。先輩として見過ごせない、という正義漢の現れなのだろう。ぎゅっと手をこぶしにして、震わせながらも果敢に言葉をつむぐ。
「も、もうっ、そんなんで油売るんどしたら、う、うう、うちの手伝いをしておくれやす」
「えー?」
 いかにも気乗りしないというティアの手を、しっかと掴んだ。
「さあ行きますえ?
 それと、お嬢はん。うちのパートナーがえらいいちびって、堪忍ねぇ。これ、お詫びの品どす。よかったらお食べやっしゃ」
 にこっと笑って見せて、エリスは悲哀の手のなかに花の形をした桃色の和菓子を2つ3つ落としていった。
 あっという間の出来事で、悲哀には何がなんだかよく分からない。ぼーっとティアを連れ去って行くエリスの後ろ姿を見ていると。
「大丈夫ですか?」
 いきなりひょこっと至近距離から覗き込まれて、悲哀はあわてて背筋を伸ばした。しかも相手がとても美しい青年であったことに、さらにほおを染める。
「だ、大丈夫、です……」
 緊張に上ずった声でどうにか答える悲哀に、青年はそっと胸元から取り出したハンカチを差し出した。額の汗を拭けということなのだろう。
「ありがとうございます……」
 おずおずと受け取って汗をぬぐっていた悲哀に、青年は今度は赤いバラを添えたティーカップを差し出した。
 カップからは白い湯気といい香りが立ち上っている。
「これを飲むといいですよ、かわいいお嬢さん。レモンバーベナにナツメグが少し入ってますから、神経を鎮めてくれます」
 かわいい、と言われたことに、今度こそボッと顔を赤くする。
 言葉もなくうつむいてもじもじする悲哀の純真さに、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は口元がゆるむのを抑えられなかった。
「わ、私……そんな……」
「いいえ。あなたは十分おかわいらしいですよ。自信を持って。
 ただ、今は少し顔色が冴えなくて気分も滅入っているようですから、これを飲んで元気になってください」
 悲哀は身長が170センチあることで――これも自信が持てない理由の1つだ――外見こそ大人びて見えるが、中身は年齢どおり14歳の、純真無垢な少女だ。気品ある、まるで王子さまのようなエースからやさしく促され、少しぽーっとなりながら受け取ったハーブティーをひと口飲んだ。
「おいしい……」
「それはよかった」
 そのとき、すっと控えめな仕草で、悲哀に小さな花束が差し出された。紫色した小花が細い葉茎の先端についている、質素で可憐な花だ。
 花束の持ち主の左文字 小夜(さもんじ・さよ)が、にこっとほほ笑む。
「これ、先ほどあちらの壁で見つけたんです。所々に群生していましたわ。かわいいと思いません?
 よかったらどうぞ」
「あ……」
「ここは初めての地で、しかもあんなふうに落ちたりして、たしかにおそろしい体験をしましたが……こんなかわいらしいお花もあるんですもの、きっとそんなに怖い場所ではありませんわ」
 いただいた花束をバラと一緒に両手で持って、そっと顔を近づける。小さな花弁からは、かすかにスミレのようなかおりがした。
「そう、ですね……ありがとうございます……」
 2人からの優しい思いやりに、胸がきゅうっとなる。
 そこに、パートナーのアリスアイラン・レイセン(あいらん・れいせん)がテケテケテケテッと戻ってきた。
「見て見て悲哀ちゃーんっ。こんなにいっぱいもらっちゃったあ」
 満面の笑顔で、両手いっぱい抱え持ったお菓子の山を見せる元気っ子だ。背も低くスタイル抜群、童顔で巨乳と、何をとっても悲哀とは正反対。まさに悲哀のなりたいと思っている姿だった。
 かわいいというのはこのアイランのような子のことを言うのだと、悲哀は思う。
 エースに見比べられ、失望されてしまうかもしれない――今はそれが恥ずかしく、気になって、悲哀はいつものように無感覚というベールを心にまとった。そうすれば、何があっても、言われても、傷ついたりしないから……。
 エースはそんな悲哀に全く気付かず、立ち上がってアイランを出迎える。
「やあ。ずい分たくさんもらってきたね。そんなに食べて、おなか壊したりしない?」
「これくらい全然平気だよー、お菓子は別腹だもんっ……て、おにーちゃん、だれ? 悲哀ちゃんのおトモダチ?」
「うん。今友達になったんだ。よろしく」
「そうなんだー。あたしね、葦原明倫館のアイラン・レイセンだよ! よろしくねっ」
 手に持っていたお菓子をその場にボトボト落として、空いた手を差し出してくる。無邪気な彼女と握手しながら、エースは「でも」と切り出した。
「パートナーなら、もう少し彼女を気にかけてあげないと駄目だよ。ほら、具合が悪そうだろう?」
 その言葉を聞いて、悲哀は不思議そうに傍らに立つエースを見上げる。
「あー、ほんとだー。悲哀ちゃん、だいじょぶ?」
 アイランはすぐ悲哀の前で四つん這いになって、下から覗き上げた。心配げに眉を寄せている。
「もう大丈夫。平気よ。ありがとう、アイラン」
「……へへっ。あのね、おいしそーなのがいっぱいあってねえ、そのなかでもこれが一番おいしそーだと思ったのー。おいしい物食べてるときって、サイコーに幸せな気分になれるよねっ。だからこれ、悲哀ちゃんにあげるねー」
 明るい笑顔で差し出されたそれを、悲哀は両手で受け取った。アイランの優しさに胸がいっぱいになって、うまく返事が返せない。そんな彼女に、アイランは分かってると言いたげにえへへと笑った。
「いい子だ。では、きみにはこれをあげよう」
 先ほどティアを止めてくれた金の瞳の青年――メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が身をかがめ、アイランの手のなかにセロファンに包まれた焼き菓子を落とした。ドライフルーツがなかにいろいろ混ぜ込まれたフルーツパウンドケーキだ。
「うわぁ。あったかーい」
「できたてだからね。もちろん味も保証するよ」
 ぱちっとウィンクを飛ばして、エースはポットを持ち上げた。
「きみもハーブティー飲む?」
「あ、ごめーん。もうカクテル頼んできちゃったっ」
 両手を顔の前で合わせて拝むようにするアイランに、メシエはほんの少し眉をしかめる。
「カクテル?」
「もちろんノンアルコールだよ! なんかね、あたしのイメージで作ってくれるんだって! 何が来るか、すっごく楽しみ〜♪」
「そう。それは楽しみだねぇ」
「うんっ」
 知り合ってまだ少ししか経っていないのに、エースやメシエと屈託なく話せるアイランを羨望の眼差しで見ながら、悲哀はそっとケーキで隠した口元でため息をついた。