空京

校長室

創世の絆 第二回

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創世の絆 第二回

リアクション


水上の序幕

 水上から見る湖の景色は実に美しいものだった。
 ニルヴァーナの空に浮かぶ月から降り注ぐ光を浴びて、水面はゆらゆらと揺れながら銀沙の波を生み出している。透き通るような水面に空の風景が映り込むとの相まって、幻想的という言葉が嘘から真実へと変わっているのだ。
 繊月の月はその名に恥じず、見る者の心を釘付けにするもう一つの月であった。
 きっとこれが、平静な日常の一風景であったならば、ただその幻想の風景に目を奪われるまま、月夜の世界に身を預けることが出来たかもしれない。
 しかし――いまそれは、許されそうにない緊張と共にあった。
「様子は?」
「いえ…………まだ、特に反応はないですね」
 水上にある小型船の甲板で、メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)呀 雷號(が・らいごう)はそんな話をしていた。
 探索チームが水の中に潜ってから、彼女たちを含む一部のメンバーは水上の救援・調査チームとして別行動をとっていた。外と湖上の様子を監視し、何かあれば水中の探索チームに連絡を取ったり、あるいは救助活動へと移るのが、その目的だ。
 水の中では分からないことはたくさんある。ある意味では、彼女たちの行動はかなり重要な位置を占めると言えた。
 メティスが確認しているのは、水中聴音機(ソナー)である。超音波を元に水中にある巨大生物などの反応を調べる装置だが、今のところそれに特別な反応は見られなかった。
 そして、雷號は船の上から湖を入念に観察している。
 いつ何時、なにが起ころうとも――すぐに反応できるようにと、彼は神経を研ぎ澄ましていた。
「あまり気を張りすぎると、足下をすくわれますわよ、雷號さん」
 そんな彼に飄々とした様子で声をかけたのは、瀬田 沙耶(せた・さや)だった。
 一見すれば薄幸の美少女のようにも見える彼女は、その見た目とは裏腹に舌がよく回る。
「まあ、本当に足下をすくわれて水に落ちるのは、きっと勘弁してもらいたいと思いますけど」
「…………」
 口元を手で覆いながらくすくすと笑う沙耶に視線だけを返しながら、雷號はなんとも言えない顔をしていた。
「沙耶よ……あまり雷號殿をからかったら可哀想だぞ」
 と、そんな雷號に、横から織部 イル(おりべ・いる)が救いの手を差し伸べた。
 彼女もまた沙耶と同じく、儚げな美少女に見える娘だった。が、どこか、その種類が違うような印象を思わせる。沙耶が人間的な意味合いであるならば、イルの場合はどこか神聖な雰囲気を漂わせているというべきか。
 もともとは巫女だったということがそこに関係しているのかもしれないが――しかし、その詳細を知る者は、少なくともその場には誰もいなかった。
 イルの注意を聞き届けて、沙耶は悪戯な笑みを浮かべながらも、さすがにそれ以上雷號をからかうようなことはしなかった。
 と――そのとき、頭上から影が降り注ぎ、同時に、バサバサという風を薙ぐ音が聞こえた。
「おお、鈴鹿。帰ったか」
 イルが心なしか弾んだ声をあげる。
 頭上から降り注いでいたのはドラゴンの影だった。そして、風を薙ぐ音はドラゴンの巨大な翼が上下にはためいている音である。
 『ルビー』――そう名付けられた相棒のレッサーワイバーンと共に、イルの契約者である度会 鈴鹿(わたらい・すずか)は降り立った。
 むろん、ただでさえそれほど大きな船ではないため、さすがにドラゴンの着地までは不可能である。ルビーは水の中にザブンと降りて、鈴鹿はその上から甲板へと飛び伝った。主人が仲間たちと話している間、水浴びを楽しもうというのだろう。バチャバチャと水と戯れるルビーの姿は、ペットの犬とさほど変わらぬほどに無邪気だった。
 皆がそんなルビーをほほ笑ましそうに一瞥した後で、鈴鹿は改めて報告した。
「ただいまです、皆さん」
「おかえりなさい」
 メティスが平坦だが……どこか少しだけ温かみのある声で出迎えた。
「首尾は……どうでしたか?」
「特に異常は……。先ほどのギフトの砲撃が嘘のように静かです」
 鈴鹿は真剣な表情になって答える。
 彼女は、繊月の湖全体の見回りに向かっていたのだ。湖上の上を旋回し、出来うる限りは隅々まで見てきたつもりだ。しかし彼女の言う通り、大した異常は見られなかった。
「尋人さんと、それに由紀也は?」
 沙耶が雷號と自身の契約者について問いかける。
「探索チームと一緒に水の中に潜っていきました。由紀也さんも、沙耶さんにはよろしく、と」
 鈴鹿は少し苦笑するようにして答えた。
「まったく……確かに水の上よりも、直接潜っていきたいとは仰ってましたが……急ですわね、ほんと」
 呆れているのか、心配しているか、判断がつきかねる声音でそう漏らす沙耶。
 鈴鹿は、物言わぬ雷號もまた、彼女と同じように己が契約者の安否を心配しているような、そんな気がした。
 と――
「……なにが!?」
 瞬間、皆の間に漂っていた穏やかな空気を破砕したのは、湖の振動だった。
「来ました……!」
 メティスが水中聴音機を見ながら鬼気迫る声を発す。
 彼女の見ている水中聴音機の反応通り、湖から聞こえてくるのは危険生物たちの威嚇の叫び。
 そして、水上に現れたのは巨大な渦巻だった。
 その渦巻は明らかにそんじょそこらの生物の力とは思えないものである。そして、以前探索チームが見つけたこの湖のイレイザーならば、それだけの力を引き起こしてもおかしくない。
「……やはり、ただで済ましてはくれなさそうですね」
 メティスが視線を配ると、皆は頷いてそれに応じた。
「探索チームにすぐ通信を。私もテレパシーで連絡を繋ぎます」
 メティスは仲間たちに指示を飛ばす。
 そんな彼女の視線は鈴鹿と絡まった。鈴鹿はルビーに乗り込むことを視線だけと動きだけで伝えてくる。メティスはそれに切なる思いを乗せて頷いた。
 水遊びをしていたルビーも、彼女たちの鬼気迫った空気を感じとったのか、静かに、恭しく主人を待っていた。そこに素早く乗り込む鈴鹿。
 そして――彼女は飛び立つ。
 目指すは渦巻の上空。負傷した者を引き上げるために、彼女は舞い上がった。