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リアクション
大世界樹 外周戦1
「圧倒されるな」
クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)は空を見上げながら、思わずそうつぶやいた。
どこまで見上げても、その巨大な大木の姿は途切れることなく、それこそ世界そのものであるようにそこに鎮座していた。
世界樹を産み育てる大世界樹は、その姿だけで人の意識を飲み込むほどに雄大な存在だった。
「信じられませんわ」
こんなものが、この世界にあるなんてことが、島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)には理解し難いものに思えた。その気持ちと共に、確かにこれだけ立派で力を感じる大樹であれば、世界そのものを支えていると言われても納得できてしまう。
「随分と自分が小さくなってしまったように感じるな」
「その通りですわね」
呆然と、二人と彼らに続いてここまでやってきた部下達は、大世界樹を見上げていた。
不意に訪れた弛緩した空気に、疑問を持つものなど一人もなく、奇妙な静寂ささえ感じる。そのいびつな空気を打ち破ったのは、通信機の機械的な音だった。
その音を聞いて、クレーメックは怪訝な表情をし、そしてすぐに自分達が何のためにここまで来たかを思い出した。
「随分と遅かったですね、何かあったのかと思ってしまいましたよ」
通信機から聞こえた声は、ゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)のものだ。
「すまない。どうやら、大世界樹に飲み込まれていたようだ」
「飲み込まれていた……? さっそく攻撃をされたのですか?」
ゴットリープの声は、少し困惑しているようだった。
だが、困惑の度合いで言えば、クレーメック自身の方が大きい。使命を帯びてここまで進軍してきた自分達が、まるで観光でもしているような気分でここに立っていたのだ。
「いや、攻撃ではないな。大世界樹の気配に圧倒されていたようだ」
「よくわかりませんが、精神攻撃みたいなものでしょうか?」
「そういうのとは違う。敵意は感じなかった。むしろ、そうだ、気にもされていないといった感じだろう」
「興味ももたれていないのに、ですか。奇妙な話ですね」
通信機から聞こえるクレーメックの声からは、いつもの毅然とした様子は感じられない。何かがあったのはゴットリープもなんとなく感じる事ができたが、彼からの説明では要領を得ない部分が多く、仲間に通達するべきか悩むものだった。
「ふむ……恐らくはあれじゃな」
通信を傍らで聞いていた枝島 幻舟(えだしま・げんしゅう)は一人頷く。
「わかるんですか?」
「雄大な景色や絶景を見たとき、はっと息を呑むことがあるじゃろ? そういうものじゃ」
「確かに言っている事はわかりますが、こんな時に、まして……」
「いや、確かにそのような感じだった」
通信の向こうから、クレーメックが同意する。
「ほら、な?」
「大世界樹はただの樹木ではない。我々の想像を絶する力を秘めている。恐ろしいな、これが俺達に敵意を向けたらどうなることか、想像もつかん」
クレーメックの言葉には、まだゴットリープは同意も否定もできなかった。ここからでも大世界樹の姿をちらりと見る事はできるが、うっそうと茂る世界樹によって、見通しは悪く全体像は全くわからない。
「部下には、大世界樹に飲み込まれないよう、注意しておきます」
「そうだな。少し注意しておけば、大丈夫だろう。それで、連絡事項はなんだ?」
ゴットリープは、クレーメックの直接の指揮下ではない。この連絡は、指示を仰ぐためのものではなく、伝える事があるから行われたものだ。
「世界樹の影が濃いので、僕達の隊は2-2-1ではなく、2-1-2のポイントに配置します。一歩早く動く形ですね。その為、トラップなどの配置に変化が生じます」
「了解した。何事もプラン通りにはいかんな。ではこちらもそちらの動きを加味して兵の配置を変更することにする」
「連絡は以上です。通信終了」
通信機を元の位置に戻し、ゴットリープは周囲を見渡した。既に兵達が、トラップの配置を行っている。
「思った以上に、動きづらいな」
辺りを見回しながら、ハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)はつぶやいた。予定通りの場所に配置できず、仕方なく道中が一緒になってしまった別働隊である。
「たぶん、守ろうとしてるのよ」
「うむ、その意見には同意するぞ」
川原 亜衣(かわはら・あい)の言葉に、幻舟は大きく頷いた。
この辺りの世界樹は、外側の世界樹よりも背が高い。人間で言えば、兄だったり姉だったりする世界樹達は、身を寄せ合って森を濃く暗くし、少しでも敵の接近を阻もうとしていた。
「守ってやらないとな、例え嫌われてたとしても」
ハインリヒは、世界樹の影になって見えない大世界樹を見上げる。
声には出さなかったが、誰もが小さく頷いた。
色々な理由や問題も確かにある。だが、この世界樹の森の中に居ると、彼らの怯えている気持ちが、ぼんやりとだが伝わってくる。それを、無視してしまう事はできない。
それぞれがそれぞれに、戦う意思を再度確認した時、世界樹達が風もないのにざわめきはじめた。
「来たか」
「ええ、間違いないわ」
指揮下の部隊に視線を向ける。腑抜けた様子はない。これなら、十分以上の動きをしてみせるだろう。
「準備にはまだ時間がかかるか?」
「もう少しは必要ですね」
「了解だ。それじゃ、最初のメニューは俺達で平らげさせてもらうぞ。おすそ分けがあると期待してたんなら、残念だったな」
「ええ、存分に堪能してきてください」
部隊を引き連れて進むハインリヒを、ゴットリープは見送る。
彼の通信機も、あちこちで行われる戦闘開始の報告を伝えてきていた。
二体の大蟲は、珍しく慎重に行動していた。
力を持つ世界樹によって構成された森は、単独で行動するには危険が大きい。なるべく早く群れに戻らなければ、危険は増すばかりだが、闇雲に動き回れば方向感覚を失い余計に迷う事になる。
ゆっくりと慎重に、二体の大蟲は森の中を進んでいく。
何か重量のあるものが、地面に落ちるような音がして先を進む大蟲は足を止めた。
急いで振り返ると、視界に写ったのは共に行動していたはぐれ大蟲が、その場に崩れ落ちている姿だった。
そして、獲物を持ったジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)と視線が交差する。
一体いつの間に接近されたのか、そんな疑問を大蟲は抱かない。目の前に敵がいる、という単純な理解を持って、大蟲はジェイコブに飛び掛ろうとした。
だが、思ったように体が動かない。
この時、大蟲の体を電撃が通過していた。フィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)の雷術である。
周囲の世界樹に被害が及ばないように、威力を抑えた電撃は大蟲の体を焼くには少し威力が足りなかったが、彼が体を動かすのに使う筋肉は痙攣し、本来の俊敏で力強い動作を奪っていた。
踏み出そうとした足は、彼の目測をそれて出っ張った木の根にひっかかり、間抜けにもうつ伏せに倒れた。その隙を逃すことなく、ジェイコブは首筋の甲殻の隙間に、マシンピストルの銃口を押し当て、とどめの一撃を見舞った。
「しぶといのは、やっぱ昆虫だからか」
マシンピストルの弾倉を入れ替えながら、ジェイコブはつぶやく。ある程度攻撃を打ち込めば、大蟲は戦闘能力を失い、やがて死ぬ。そのやがての長さが、とても長い。
「見ていて、気分のいいものでありませんわね」
たった今蹴散らした固体ではないが、切り落とした腕だけが這い回って動いていることもあった。周囲の状況の知覚もほとんどできない動き回る腕など、脅威でもなんでもないが、気分の悪いものであるのは確かだ。
「もともと十分気色悪いってのにな」
話しながら、ジェイコブは大蟲をよく観察する。
何体か仕留めながら移動しているおかげで、ある程度死ぬか生きるかの判別はできるようになった。こいつらは、死んだふりをして生き延びよう、なんて小ざかしい真似はまずしない。それだけ余力があれば、この場から逃走しようとするタイプだ。
少し様子を見て、完全に仕留めたと判断した。
大蟲はある程度の集団で群れをつくり行動している様子だが、世界樹の反撃や、契約者との戦闘によって、はぐれたり孤立したりする大蟲は結構な数が存在している。
「行くぞ、フィル」
たった今片付けた大蟲の骸の匂いを嗅ぎつけて、別の大蟲がやってくるかもしれない。臨戦態勢の大蟲を相手にするのは、面倒が大きい。
周囲に警戒しながら、木々の間を抜けていく。
「しかし、こいつはお互いにとって面倒な戦場になってるな」
「これより光条兵器による地上斉射を行う。敵にだけしかダメージがいかないようにするので安心しろ」
空中、巨大な世界樹のさらに上を取った相沢 洋(あいざわ・ひろし)の手には、光条兵器のガトリングガンが握られている。
宣言と共に地上に向けられたガトリングガンから、光の粒子が弾丸として飛び出し、地面に降り注ぐ。着弾の対象は世界樹を食い荒らす危険生物である大蟲だけに設定されている。
「制空権を取り、地上を攻める。ガンシップの本領発揮!」
この戦場に、空を領する敵は存在しない。一方的な航空支援攻撃により、地上の大蟲達は対処することもできずに銃弾の雨にさらされる。その多くは、世界中を通り抜け大地に吸い込まれていくが、大蟲の勢いを殺し、軍隊アリのような行進が滞る。
「今ですわ。足を止めた敵なら、撃ち損じることはありません!」
エミリア・ヴィーナ(えみりあ・う゛ぃーな)が部下に檄を飛ばす。
大蟲の群れと遭遇戦闘になって、足止めを食らっていた彼女達の部隊は、洋の援護によって攻勢に転じた。
「今度はこっちの番です」
ギャザリングヘクスによって高められていた魔力の開放の時がやっと巡ってきたコンラート・シュタイン(こんらーと・しゅたいん)は、威力の高まった火術を手近な大蟲に叩き込んだ。
火術を浴びた大蟲は、炎にまかれながらのた打ち回る。甲殻が炭化していき、真っ黒になりながらも動きはとまらず、近くの世界樹へと近づいていく。
「しまった」
すぐさま、火を消してかつとどめを刺そうと氷術に切り替えるも、真っ直ぐではなくめちゃくちゃに動く大蟲に狙いが定まらない。しかも早い。
あと一歩で世界樹にぶつかってしまうところで、光の線が動き回る大蟲を打ち抜いた。
一撃を頭部に受けた大蟲は、頭を中心にぐるんと縦に回転して、地面に倒れる。未だ炎は健在だったが、すぐにコンラートが氷術を用いて火を消した。
「うまくいきました。次の目標に切り返えます。以上」
エリス・フレイムハート(えりす・ふれいむはーと)は、小さく安堵の息を吐いた。エミリア達がぶつかっている地点から少し離れた場所から、光条兵器の大型対戦車ライフル砲のスコープを覗く彼女の位置では、戦場の様子は世界樹の木々によってよくは見えない。今の狙撃も、かなり難易度の高いものだった。
「下の様子はどうだ?」
上空から、援護射撃をする洋から通信が入る。
「順調です。しかし洋様、だいぶ着弾点がそれています。修正をお願いします。以上」
「ここからは下の様子がわからない。逐一敵の位置を報告するように伝えろ」
「了解です、洋様。以上」
上空を制圧している洋だったが、うっそうと茂る世界樹の木々によって、全く地上の様子を見る事ができない。地上には、リスを含め彼の部隊がスポッターとして敵や戦場の把握につとめてはいるが、それでも生き物である戦場を追い続けるのは難しい。
リスはすぐに部下に指示を出す。
ここに限らず、あちこちで大蟲との遭遇戦が繰り広げられている。どちらかが優位な位置や状況を作るのではなく、遭遇戦だ。視界が悪く、しかも時折世界樹が動くために正確な位置や状況を、大蟲も契約者達も把握しかねているのである。
「この戦場は、三つの勢力が存在してますものね」
大蟲の群れを制圧しおえたエミリアは、ゆっくりとだが何かしらの意思を持って動く世界樹を横目に見つつ呟いた。
「まるで迷宮の中で戦争をしているみたいです」
「そうですわね。迷わないよう、部隊や仲間とは連絡を密に行いましょう」