 |
 |
リアクション
大世界樹 ブラッディ・ディヴァイン1
悲鳴のような大きな音を立て、世界樹のひとつがゆっくりと傾いていく。
「離れて!」
その様子を見て、野部 美悠(のべ・みゆう)は叫んだ。狙撃の為に後方で配置されていた彼女の位置からは、世界樹が仲間の部隊に向かって倒れていくのがはっきり見える。
「くっ、下がれ、巻き込まれるな」
悲鳴はまだ続く中、ケーニッヒ・ファウスト(けーにっひ・ふぁうすと)が声をかき消されまいと張り上げる。
最初はゆっくりとした傾きが、目に見えて速度を増していき、最後は他の世界樹を巻き込みながら地面に倒れた。砂埃が舞い上がり、視界を悪くする。
「大丈夫、ファウスト?」
「ああ、げほっ、ごほっ、我は無事だが、これでは部隊の様子がわからん」
通信機から、聞きなれた声が聞こえてくる。
「あと少しで殲滅できたのだがな、うまく逃げられたか」
ケーニッヒは歯噛みする。世界樹を破壊して道を塞ぐ手段もそうだが、このような手段を使ってくるという事をまず考えていなかった。
「なんだろう、この周囲に居るのは妙に統率が取れてるように思うの。まるで、人が指揮してるみたい」
「十中八九、ブラッディ・ディヴァインだろうな。だが、その姿が見えないのはどういうことか」
一旦二人は合流し部隊の様子を確認、負傷者を後方に送る手配を行った。
「気をつけるんだぞ、この辺りは敵意が濃いからな」
木々の隙間を抜けながら、マーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)は黒岩 飛鳥(くろいわ・あすか)に声をかける。
世界樹の森の中は、彼らの意識がところどころに漏れ出している。それらは、一つの世界樹の意思というよりも、彼らの総意なのだろう。
怯えている地点、怒っている地点、そんな風に分類することができ、それらは状況によって色を変える。
中でもここは、怒りの色が特に濃かった。ほんの数分前に、追撃していた大蟲の群れが行方をくらました地点だ。
「うん、早くなんとかしないと……」
怒りの色に染まった世界樹は、契約者だろうと大蟲だろうと、構わず襲い掛かってくる。大世界樹付近の世界樹の厄介なところは、見境が無くなったのではなく、明確に敵意を持って襲い掛かってくることだ。
恐らくは、外の世界樹に比べてこの周囲の世界樹は年季の分落ち着いているのだろう。そんな世界樹であっても、大蟲を完全に退けるには至らないのだ。
「む……」
手でサインを出し、マーゼンは飛鳥を止めた。
視界の先には、味方の部隊が見える。
世界樹の森の中で孤立してしまった味方の部隊だ。彼らは世界樹によって進軍も後退もはばまれ、救助を要請していた。世界樹を破壊して道を作れば、大蟲と同じだと、彼らをピックアップするための道具、縄梯子などを持って二人はここまで来たのだが、どうも様子がおかしい。
世界樹に取り囲まれているという話だったが、その様子は無い。代わりに、何かに追われているかのように時折後ろを確認しながら走っている。
「あそこよ」
飛鳥がいち早く、彼らを追っている敵を確認した。指差されたそれは、やはり大蟲だった。だが、他の大蟲よりも色が濃く、体も大きい。
「初めて見ますな……リーダーか何かですかな」
興味深げに観察するマーゼンだったが、飛鳥に「そんな事より助けないと」という言葉に押されて援護に入る。
今にも追いつきそうだったリーダー大蟲に、飛鳥の矢が飛来する。突き刺さる前に大蟲はそれらを全て叩き落した。
「いい反応ですね」
矢とは別の方向から接近したマーゼンが槍で仕掛ける。わき腹部分の甲殻のつなぎ目を狙った一撃だ。これまで、大蟲はこの攻撃に対応できていなかったが、この大蟲は容易く反応に、反対側の二本の指で刃先を取ってみせる。
「びくともしない」
押しても引いても動かない槍から、マーゼンは手を離した。この思い切りのよさが、彼の命運を分けた。
繰り出されてきた渾身の蹴りを、マーゼンは後ろに飛びながら防御を固めて対応できたのである。もし、槍に未練があったなら、木の枝のようにぼっきりと彼の体は折れていたことだろう。
地面を転がりながら、勢いを利用して起き上がる。
「あなた方が、救援を要請した部隊ですかな?」
近くに立ちつくす彼らに声をかける。
ダメージはどれぐらいか。ちゃんと対応したため、そこまで深刻ではない。大蟲と比べて威力があったようにも感じたが、感覚に頼る程度の差であれば固体の誤差の範囲だろう。見分ける方法は、色の濃さぐらいか。
「は、はい。その通りであります。救援を待っていたところ、あれが現れて……仲間が……」
「詳しくはここを逃げ延びてからにするべきでしょうな。これはちょっと厄介です」
リーダー大蟲は口を開くと空気を揺らした。仲間を呼ぶ声だ。ざわついた足音と共に、いくつもの影が姿を現した。そこに人間は一人としてなく、全て大蟲だ。
そしてもう一度空気を振るわせると、大蟲は一斉に飛び出してくる。数でも士気でもこちらが劣っているのは明白だった。即座に撤退を判断し、動き出す。
「飛鳥、救援を」
飛鳥からの連絡を受けて、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)はすぐに援軍の手配に着手した。
「ここに来て、大蟲の動きが格段によくなってきているようですね」
「ここに来て本気だしてきたってこと?」
マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)がゆかりの顔を見上げながら首をかしげる。
「追い詰められたから本気をって、ガキの喧嘩じゃねーんだからそんなわけないと思うけどな」
マリエッタの言葉に返したのは、ゆかりではなくヨーゼフ・ケラー(よーぜふ・けらー)だった。
「もう怒った、本気出すからな! なーんて言う人は、大体最初っから本気ですわよね」
エリス・メリベート(えりす・めりべーと)も続いて姿を現す。
「こっちの準備は終わったぜ」
「ええ、いつでも出られますわ」
二人の言葉に、ゆかりは決意をこめて頷く。
「お願いします。あちらも余裕は無いはずですから、注意してください」
「おう、任せてくれ」
二人はゆかりの言葉を受けて、すぐに出立した。
「ねぇ、向こうに余裕が無いってどういう事?」
前線に合わせて移動を行っていた最中に、マリエッタが尋ねる。
「報告によれば、今まで確認できなかったリーダーらしき大蟲が出現したそうです」
「そうみたいだけど、それと余裕は関係ないんじゃないかな?」
「大蟲はブラッディ・ディヴァインが用意した駒だと考えられます。人間だったら、お金などで傭兵を雇うこともできるのでしょうが、大蟲はそういった交渉で味方につけられると思いますか?」
「うーん、無理だと思う」
「私も同意見ですね。となると、何らかの方法で従わせると考えるのが自然です。ですが、大蟲の数は多く、魔法に対しての抵抗も持ち合わせているので、魔法でまとめて操るのには少し無理があるように思いです」
「そっか、だからまとめて動かすために群れのリーダーを操ってるってわけね」
「実際にどうやってるかはわかりませんが、彼らの大蟲の運用は、リーダーを介しているものだと思います。その為、隅々まで完璧に運用することができていない。いえ、いなかったですね」
「それじゃあ、そのリーダーが前に出てきたって事は」
「大まかな運用では、こちらの動きを制することはできない。そういうことなのだと思います。報告によれば、リーダー固体は他の固体よりも少しレベルが高いようですが、それでもリーダーを失う危険を冒すことを考えれば、追い詰められていると考えた方が自然です」
「じゃあ、今あたし達は優勢なのね。戦場を見渡せないから、どうなってるのかわかりづらかったけど」
「ええ、ですが油断は禁物です。リーダーのレベルもそうでしょうが、群れとしてのレベルも一緒に上がるという事は、一層危険が増すという事でもありますから」
「ここが踏ん張りどころってわけね」
「ええ、その通りです」