空京

校長室

【蒼空のフロンティア最終回】創空の絆

リアクション公開中!

【蒼空のフロンティア最終回】創空の絆
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リアクション


この大地とともに 3

 シボラ。
 多様な部族が住むこの土地にも、儀式を阻止せんとする異形の者たちが押し寄せていた。
「ちょ、ちょっと何なのこの気持ち悪いやつら!」
 2メートル近い背丈に、隆々とした筋肉。一般的にトロールと呼ばれるその生物は、方々を荒らし回った末このシボラの地をも蹂躙しようとしていた。
 そんなトロールの群れに驚きを隠せず声を上げたのは、空京にあった尼寺「Can閣寺(きゃんかくじ)」の副住職をしていた苦愛(くあい)である。
 事情により寺が焼失した後、苦愛は旅に出ていた。元々人懐っこい性格がこの地の風土に合ったのか、彼女は旅路の果てに辿り着いたシボラで、原住民と仲を深めていた。
 その矢先に知った、創造主の存在や祈りの儀式のこと。
 深い事情も分からぬまま、苦愛はとりあえず民たちに呼びかけ祈りを捧げようとしていた。
 しかし、眼前の怪物たちはそうはさせまいと彼女たちに襲いかかる。
「これやばくない? 囲まれる前にどっかに逃げなきゃっ……!」
 苦愛は、民を誘導しつつ自らも逃走を図った。が、元々の脚力に差があったのか、距離は開くどころか縮まる一方だ。
 シボラに住むふたつの民族、ベベキンゾ族とパパリコーレ族の中には闘う姿勢を見せる者もいたが、それが不利な戦であることは明らかだった。
 なにせこちらには非戦闘員も大勢いるのだ。それらを守りながら闘うのは、至難の業である。
「ど、どうしよ……」
 苦愛が一歩後退る。頬には汗が流れていた。身を隠そうにも、今いるところは開けた平原。状況は絶望的だ。
 軽く10匹は超えているトロールのうち1匹が、ずんと前に進み出た。同時に、腕を高く振り上げる。
 もうダメかもしれない。
 苦愛がそう思い目を閉じた、その時だった。
 ごああ、と低い呻き声が目の前から聞こえた。それは紛れもなく、腕を上げたばかりのトロールが発したものだった。
 恐る恐る目を開けた苦愛が見たものは、土手っ腹に剣を突き刺されたトロールの姿であった。
「え……えっ?」
 戸惑う苦愛をよそに、トロールはそのまま前のめりになって倒れた。
「あっ」
 と、苦愛が短く声をあげる。倒れたトロールの向こうから姿を覗かせたのは、彼女のよく知る人物だったからだ。
「危なかったね」
 柔らかく微笑んで彼女に話しかけたその人物は、シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)であった。傍らには、パートナーのアイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)もいる。
 彼らは、尼寺に苦愛がいた時からの関わりであった。
 シルヴィオはそのまま苦愛の隣へとやってくると、再会の言葉を告げる。
「マイ、久しぶりだね。元気だったかい?」
 それは、苦愛の本当の名前。そう呼ばれたことで、長らく会っていなかったにも関わらずふたりの距離が途端に短く感じられた。
「当たり前でしょ! あたしから元気とったら何にも残んないし、みたいな」
 冗談交じりで軽口を叩く一方で、苦愛は安堵していた。命を助けられたこと。そして、頼もしい人たちが来てくれたことに。
「ていうか、ギリギリすぎない? 助けるの。今まで何やってたの?」
「はは、すまないね。これでも急いで来たんだよ」
 答えながら、シルヴィオも分かっていた。彼女のその言葉が、どんな気持ちで発せられているものなのかを。
 本当は、久々の再会を喜び、ゆっくり語らいたいところだが目の前の異形たちがそうさせてくれそうにもない。
 シルヴィオは、ちらりと隣の苦愛に目をやった後、その後ろに固まっているシボラの民たちを一瞥した。
「それにしても、これだけの民族に呼びかけられるなんて……凄い才能だな」
 旅に出ることを勧めたのも、あながち間違いではなかったのだとこの景色が物語っている。シルヴィオは感心していた。
「以前より、ずっと眩しい女性になったな……」
「え?」
 呟いたその声は、苦愛には聞こえなかったようだ。だが、別にそれでいい。贈りたい言葉はまだまだたくさんあるのだ。
 この闘いが終わった後、これまでのことなんかを話しながらひとつひとつ贈ろう。
 シルヴィオはもう一度微笑んで、苦愛に言った。
「マイはやっぱり素敵な女性だな、って思ったのさ」
「ちょっ、こんな時に何言ってんの」
 でも、と苦愛が言葉を繋ぐ。
「……ありがと」
 きっとそれは、今のシルヴィオの言葉に対してだけじゃない。憶えててくれたこと、ここに来てくれたこと。すべてにだ。
 お礼を告げた苦愛の――マイの顔は笑顔だった。
 アイシスもその表情に、安堵した。
「シルヴィオ」
 短く、アイシスが言う。シルヴィオは小さく頷き剣を構えた。
「ここにまでこれほどの怪物がいるとは思わなかったが……音楽で一体感を高めるアイシス、そして祈りを捧げる人々を守るために俺が剣を振るおう」
「お願いね、シルヴィオ」
 僅かに目配せした後、アイシスはリュートを取り出し演奏する体勢へと移った。
「戦う意思のある者は、俺に続いてくれ」
 シルヴィオが呼びかけると、ぽつぽつとシボラの民が呼応し、前線へと走り出した。その勢いを見届け、シルヴィオはふたりの女性に告げる。
「マイ、アイシス、安心して祈りに専念してくれ!」
 言うと同時、彼もまた駆け出しトロールの群れの中で剣を振るった。

 アイシスのリュートが奏でる音色、そして彼女の歌声が響く中、彼らは1匹、また1匹とトロールを倒していく。
 その力は、群れていたトロールたちを倒すに充分足るものであった。
 数十分の後、平原に広がっていた光景は地に伏したトロールと勝利を喜ぶシボラの民たちだった。
「シルヴィオ、無事で何よりです」
「こんなところで倒れるわけにはいかないからね」
 剣を収めながら、シルヴィオは苦愛、そしてアイシスに向かって言う。
「さあ、俺たちも祈ろうか」
 パラミタ最古の地と言われるシボラで、新たな世界の誕生を祈る。それはどこか不思議な気分であった。苦愛にしてもそうである。彼女はこれまで、心ない祈りを幾度も重ねてきた過去があった。そんな自分が、世界のために祈る日が来るなんて。
 だが、決して気分は悪くない。
 苦愛の口元が緩む。それをちらりと横目で見たシルヴィオも、きっと同じ表情をしていたに違いない。



 随分と長い間、夢を見ていた気がする。どこかを目指して、空を漂い続ける夢。
 そこから醒めた時、目にした景色はなぜか運動場のような場所だった。
 俗に「パラミタルーザーズコート」と呼ばれるそれは、空峡に浮かぶ小島に位置している。
 石化され、封印された十二星華、ザクロ・ヴァルゴ(ざくろ・う゛ぁるご)は本来硬化が解けない限り意識が戻ることはないはずだった。
 しかし、現に今彼女は目の前の風景を認識している。体は動かないが、意識は働いている。
 創造主の干渉により世界に歪みが生じたことが一時的に彼女の魂を呼び戻していたのだが、ザクロにそれを知る術はなかった。

 ――これも、また夢?

 ならば、再び漂い続けようか。標も何もない空を。
 そのようにして意識が再び沈みかけた時だった。
 向こうから、人影がやってくる。昔どこかで見たことのあるような。やがてその人影は、ザクロの前まで辿り着いた。その影の主は、瀬島 壮太(せじま・そうた)であった。
「……色々考えたけど、やっぱここに来ちまった」
 目の前の石像に、壮太が言う。いや、あるいは独り言かもしれない。ザクロはその様子を、ただ眺めていた。
「心残りっつうのかな。祈りを捧げなきゃいけねえって知った時、ここが思い浮かんじまった」
 壮太はそう告げた後、ザクロの石像に語りかける。
 世界が生まれ変わろうとしていること。
 そのために、祈りを捧げる必要があること。
 そして、ザクロに自分の気持ちをぶつけきれなかったこと。
「分かってるんだ。今さらどうにもならねえってことは。ただ、ぶつけられなかった気持ちの分、祈るくらいはいいだろ?」
 そう言うと、壮太はその場にしゃがんで両の手を合わせた。そのタイミングでこの現象が起こったのが偶然か、奇跡かは分からない。
 ただ、壮太が祈りを捧げた直後、彼の目の前にはザクロが立っていた。あの厭世的な笑みを携えて。
「……え」
 一瞬、言葉を失う。当然だ。だって、目の前には変わらず石化状態のままのザクロがいるのだから。
 それとは別に、半透明な姿をしたザクロが壮太の前にいるという事実に戸惑いを隠せなかった。
「あ、あ……」
 その時の壮太の顔をどう表現すれば良いだろうか。嬉しさを染みこませているような、それでいてやるせなさも滲んでいるような。
「まったく、そんな長話をするならお酒のひとつでも持ってきてくれてもいいんじゃないかい?」
 壮太の目から、涙がこぼれた。随分と懐かしく感じるその声は、確かにザクロの声だ。
「な、なんで……」
「さあね。あたしにもさっぱりさ。まあひとつ言えるのは、世の中がよっぽどおかしなことになっちまってるってことかねえ」
 精神体――とでも呼ぶべきだろうか。その状態のザクロが、飄々とした態度で答えた。
「ま、あたしがいた時もまともな世の中だったとは言いにくいけどね」
 研究者から受けた仕打ち、女王の位を巡る数々のしがらみ。思うがままに生きようとしたが、結局は叶わなかったこと。ザクロの言葉は、どれを指していたのか。
「……で、わざわざこんなところまで何しに来たんだい。まさか本当にただ祈るためじゃないだろう?」
 それは、用件を急かしているようにも聞こえた。
 もしかしたら、彼女自身悟っていたのかもしれない。この歪みによって意図せず生まれた精神体が、僅かな時間しか存在できないことを。
 壮太もそれをうっすらと感じ取ったのか、頬を手で叩き顔を引き締めると、口を開いた。
「言っておきたかったことが、あるんだよ」

 その頃、コートの外では壮太のパートナーミミ・マリー(みみ・まりー)が滑空するワイバーン相手に、メイス片手に応戦していた。
「っ!」
 すぐそばを、ワイバーンの爪がかすめていく。そのままミミの横をすり抜けコートの中へと入ろうとする敵を慌てて押しのけた。
「ここは、通さないよ」
 その時ミミの頭に浮かんでいたのは、悲しそうな顔をした壮太だった。
「壮太は、きっとザクロさんに伝えたいことがたくさんあるんだ。だからそれを伝え終えるまでは、ここで食い止めなきゃ」
 ミミは、ありったけの力を振り絞って己の武器を振り続ける。
 どうか、壮太が思っていることを全部伝えきれますように。そう願いながら。

「言っておきたかったこと?」
 ザクロが、壮太の言葉を繰り返す。彼はそれに頷いた後、口を開いた。
「オレは……大事な奴が出来たんだ」
「なんだい、惚気話かい」
 ザクロの冷やかしに、壮太は首を横に振る。
「クズみたいなオレでも、幸せになれたんだ。あんただってきっと、方法さえ間違わなければ……」
 自由にも、幸せにもなれる。誰にでも、その権利はある。
 しかしそれは、ザクロの石像を前にして気軽には言えなかった。今のこの状態がずっと続いてくれるなんてこともないなら、軽々しく自由を口にするのも憚られたのだ。
 それでも。壮太は、もう後悔をしないために再度言葉を口にした。
「いつか、あんたの硬化が解けたその時は女王も何も関係ねえ、あんたが思うまま、自由に生きられる世界になるようにって、そう願うから」
 少しの間、言葉に詰まる。次に言いたい言葉は決まってる。ただ、それを口にするには勇気と責任が少しだけ必要なのだ。
 もちろん、壮太にはその両方があった。言葉に詰まったのはきっと、より言葉に思いを込めるため。
 そして彼はその言葉をザクロに告げた。
「だから……もうちょっとだけ待っててくれな」
 ザクロが、小さく微笑んだ気がした。少なくとも、壮太にはそう見えた。
「まあ、あたしがこんなことになってるくらいだから、きっと世の中も水物なんだろうね」
 ザクロの精神体はそう言うと、透明度を増していった。歪みが生んだ時間は、ここまでということだろうか。
 壮太はそれを見届け、最後に石像へともう一度祈りを捧げた後、ミミの元へと走っていった。その表情に、もう悲しみは溢れていない。