空京

校長室

浪の下の宝剣

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浪の下の宝剣

リアクション


●海京に迫るイコン部隊を迎撃する:page01

 ここは海京の果て、背後に都市を、眼前に海を、望むことのできる海岸。
「できれば水の中に入りたくないなあ」
 波打ち際に機体頭部を向け、メインカメラを下方に傾けつつ裏椿 理王(うらつばき・りおう)はためらった。意識して取らせたポーズではないものの、こうやるとイコンはまるで、海を初めて見て戸惑う幼児のように見えた。
「機体を錆びさせるのが怖いとか?」
 理王のパートナー桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)がからかうような口調で告げた。屍鬼乃のシートは副座、同じイコン内の、やや理王を見上げるような位置にある。
「違う違う。まさかイコンが、海水に浸かったくらいで錆びるなんて思っちゃいないよ」
 クエィルタイプのイコン『マリア』の水中用調整は終わっている。塵殺寺院急迫の報を受けての短時間換装だったが、最低限の戦闘なら存分こなせそうだ。
「戦うことそのものには、迷いを感じちゃいないんだ。ただ、普段非戦闘要員なので、水中で敵を待ち構えるより、ぎりぎりまで地上からアサルトライフルで援護したいと思ってるだけ」
 ふぅん、と片眉を上げて屍鬼乃は笑った。「理王にしては戦闘に前向きだねえ」正直、彼が戦いを選ぶとは意外だった。「てっきり新歓コンパで、片っ端から新人をお姫様抱っこでもするかと思った」
「ちょ……人をなんだと……!?」
「お姫様抱っこはもう飽きた?」
「そういう話をすべき状況じゃないと思うんだ、今は」
「はっきり『ノー』と言わないところが逆に正直だねえ」
 ふと屍鬼乃は理王の心が判った。なんだかんだ言ってパートナー、彼の狙いくらいお見通しだ。
(「最近、見ず知らずの女性にお姫様抱っこをなかなかさせてもらえなくなったみたいだから、まずは新人に警戒を解いてほしくて、戦闘でいいところを見せようとしてる……ってとこか」)
 読めてしまうとまた愉快な気持ちになり、屍鬼乃はニヤニヤと笑いをかみ殺しつつ独言した。
「そんなうまいこといくかねえ」
「何の話?」
「こっちの話」
 屍鬼乃の言葉の半分は、外の蒼さとシンクロするものとなった。理王が操縦桿を倒し、機体を水に入れたのだ。鋼鉄の騎士が、その装甲に負けぬ白さの水飛沫を上げた。
 堂々たる体躯の理王のイコンも、多数存在するイコン防衛陣の一構成要素に過ぎない。迫り来る鏖殺寺院勢迎撃のため、各校の契約者は連合し、イコンに乗って空京海岸に集結したのだ。
 その中には、これが初陣となる斎賀 昌毅(さいが・まさき)の姿もあった。
「感度良好。このイコン、まるで手足のようによく動く」
 昌毅のイコンはコームラントと呼ばれる機体だ。せり出した両肩はミサイルポッド、腕のロングレンジビームキャノンも勇ましき重量級の巨人像である。コームラントタイプの特徴はその安定感にある。昌毅はマシンを操り味方陣営を見て回るが、休みなく歩んでもコクピット内はほとんど揺れない。ドリンクホルダに差したペットボトル、その中身が静かであることからもそれは明らかだった。
 分厚い装甲を有す鋼鉄の機械に包まれているにもかかわらず、いや、イコンの内部にいるからこそ昌毅の胸は躍った。
「あれは……センチネルタイプでありますね。おお、あの美しい翅は、アルマイン・マギウスでありますか! どれもボク、実物は初めてお目にかかるであります!」
 副座のマイア・コロチナ(まいあ・ころちな)が、そんな彼の心を代弁するように言葉を弾ませていた。
 憧れの天御柱学院に入学、そして初陣……昌毅が迷わずこの進路を選んだのも、イコンに乗ることができるからだ。訓練期間を終えて塔状したイコンは、思っていた以上に昌毅の肌に合った。まるでオーダーメードのジャケットを着たような気分だ。自機にはナグルファルという名前も付けた。いずれ迫る戦いのことを思えば、そう興奮してばかりもいられないのだが、夢にまで見たイコンに乗り、しかも味方勢のイコンをこれだけ沢山同時に見ることができるのだ。少なくとも今この瞬間だけは、実現した夢を味わっていたい。
「マイア、確認したい。俺たちの行動方針は?」
「我らはまだ未熟者ゆえ、敵を観察し味方の戦況に注意し、援護射撃にてサポート中心に動くことをメインとする所存であります!」
 マイアは操縦桿から手を放し敬礼した。
「判ってるようだな。主目的はあくまで観察、援護射撃は『ついで』といったところだ」
 そうは言っているものの、昌毅の口調が昂ぶっていることをマイアは知っている。きっと彼は味方の窮地には、自身のイコンが破損することすら顧みず全力で支援に向かうことだろう。しかしそれをあえて指摘せず、マイアは「了解(ラジャー)であります!」と再び敬礼するのだった。
 このとき目の前を横切ったイコンに、昌毅は思わず目を見張った。ガネットだ。天御柱学院が新投入した水中用変形機である。両肩から腕に平行に伸びた両翼は、戦闘時は盾となり、高速移動時は、両腕両脚を含むボディを収納するという。
 オットー・ツェーンリック(おっとー・つぇーんりっく)も、ガネットの姿に称賛の溜息をついていた。ガネットは水に入る寸前に変形し、瞬く間に潜水艦のような姿となった。水に浮かぶその姿は流線型で、目が覚めるほど美しい。
(「口惜しいですけれど、今回の戦いの主役はガネットですね。僕たちは彼らを全力で支援しましょう」)
 オットーもイコン戦は初めてだった。ガネットを追うように自身の機体を水に入れると、前視界モニターに蒼いものが満ちていくのが判った。コクピット内に水圧がかかることはないのだが、彼は瞬時、擬似的な息苦しさを覚えた。
「ヘンリッタ、計器をチェックしてください」
「良好ですわ」
 ヘンリッタ・ツェーンリック(へんりった・つぇーんりっく)が即座に答えた。優秀な頭脳を持つ彼女は、すでに自分たちの弱点も見抜いている。
(「いくら水中対応の改造を施したといっても急造品、ガネットのような例外は別として、大半の機体は恐らく、塵殺寺院の機体に性能的に劣るでしょう」)
 だが――ヘンリッタは周囲を見回した。ガネットを中心として、その前後左右をヨーゼフ・ケラー(よーぜふ・けらー)エリス・メリベート(えりす・めりべーと)のクェイルなど、シャンバラ教導団所属『メンスヘン』を名乗る部隊が固めていた。海戦に適したガネットを核とし、攻守に優れた編成を心掛けたのだ。ヘンリッタは思う。機体性能で劣るなら、連携でカバーするまで、と。
(「一対一で勝てない相手には、二対一、三対一で立ち向かう。それが私たちシャンバラ教導団の戦い方よ」)

 ざぶんと音を立て、ハルディア・弥津波(はるでぃあ・やつなみ)のセンチネルが海に身を投じた。
「ふぅ、今年初の海水浴は、イコンに乗って行うことになるとは思わなかったよ」
 ややバランスが取りづらいが、そんな苦労はすぐ忘れた。海底に立って見上げると、頭上の海面がステンドグラスのように輝いていたのだ。
「綺麗だねえ……それに、少し不思議な気分。巨人の視界ってこんな感じなんだ。イコンって面白いな」
 その光景に、そして間もなく訪れるであろう戦闘の予感に、ハルディアは魂を震わせた。
「面白い、といえば」メインコクピットからデイビッド・カンター(でいびっど・かんたー)がハルディアに話しかける。「ハル……なんでイコンにこんな名前付けたんだ?」
「こんな? どんな?」
「どんな、って……」恥ずかしそうにデイビッドは言った。「センチネルのセンちゃんって、お前……駄菓子とか漬け物の商品名みたいなんだが」
「え? でも可愛いでしょ、センちゃん。愛称なんだから可愛い方が良いと思って」
 どこ吹く風、と微笑むハルディアである。
「さて……いつまでも笑っちゃいられないな」デイビッドは正面を向くと、座席のシートベルトを確認しつつ毅然とした口調で告げた。「ぼちぼち敵機が見えてきたようだ」

 急いで、と水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)はメカニカルスタッフに告げ、自身、パートナーの鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)と共に整備を急いだ。海京を守るイコンの数々を水中用に調整したのは睡蓮であった。急募した人員をメカニカルスタッフとして編成、これを指揮し、味方勢のイコンをたちまち、最低限とはいえ十分水中戦に堪える仕様に仕立て上げていた。
「すみません。これで安心して戦えそうです」
 昆虫を彷彿とさせるイコンアルマイン・ブレイバーのコクピットで、イルミンスール生小山内 南(おさない・みなみ)が頭を下げた。彼女の機体が最後だ。制限時間ギリギリ、調整は間に合った。
「いえ、過信しないでください。あくまで応急処理程度です。長時間の戦闘どころか、少しの被弾でも浸水しかねないので……」くれぐれも気をつけて、と、睡蓮は言った。「これだけ多彩な機体が集まったんだもの、こんなところで墜とされるなんて……なんて勿体ない……あっ、いえ、パイロットです、パイロットの命が勿体ないというお話ですから」
 しかし睡蓮にこれ以上の言葉は必要なかった。このとき、天司 御空(あまつかさ・みそら)からの通信が全員のコクピットに届いたのだ。
「こちら天御柱学院司令部。各機の状態を報告して下さい」
 現在、御空は海岸線に設置した臨時司令部に待機し、オペレーターとして参加者各人の支援を行っている。彼はクラウディア・ウスキアス(くらうでぃあ・うすきあす)と共にイコン搭乗者から次々返ってくる応答をチェックし、臨戦状態に入ったことを確認する。
「全機の配置を確認。滑り込みで間に合ったな。もう敵はすぐそこだ」
 クラウディアが短く告げると、頷いて御空は声を上げた。
「敵部隊構成はシュメッターリングとシュバルツ・フリーゲの複合部隊。間もなく視認可能範囲に入ります。各機戦闘準備」
 慣れぬ水中戦、しかも、多くの者がイコン初戦闘という状況だ。司令部の重要性は通常の戦闘に増して大きい。御空たちの果たす役割は、いわば生命線にして頭脳、彼らの采配ひとつで勝利も敗北もありえよう。
「俺はオペレーターとして皆さんを支援します。そして海京の最終防衛戦でもあります……ご武運を」
 ヘッドセットマイクを下げ、御空は告げたのである。
「最前線メンバーは警戒姿勢を。敵機遭遇までカウント200です」

 色とりどり形状もそれぞれ、悪く言えば統一感のない迎撃部隊が一斉に動き出した。
 しかし人よ、見た目だけで判断を下すことなかれ。イコンはバラバラでも彼らの目的は同じ――この海京を守り抜くことなのだ。