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【ザナドゥ魔戦記】魔族侵攻、戦記最初の1ページ

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【ザナドゥ魔戦記】魔族侵攻、戦記最初の1ページ

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■西カナン・ウヌグ領主の居城

 クエスティーナ・アリア(くえすてぃーな・ありあ)は幾分緊張した面持ちで外階段を上がると、重厚なドアノックを鳴らした。コツコツと、鉄製のドアノックがぶつかる音は小さく、とてもこの大きな城のどこかにいるだれかに聞こえているふうには思えなかったのだが、意外にも、それほど待たされることなくドアは開いた。
「どなたさまでしょうか?」
 中から現れた男に、クエスティーナは城の門をくぐる前から手に握り込んで用意してあった国軍身分証を差し出す。
「シャンバラから……きました。クエスティーナ・アリア、と申します。こちらはサイアス・アマルナート」
 クエスティーナの紹介に合わせて、後ろについていたサイアス・アマルナート(さいあす・あまるなーと)が頭を下げる。
「奥様の、ザルバ様にお目通りを……お願いできませんでしょうか。あの、これ、手土産です……」
 と、西カナンにコントラクターたちが開拓した獅子農場産であることを示すパッケージに入った夜明けのルビーを差し出す。そしてあやしい者ではないと示すように、受け取ってもらったあとも両手は前に出しておき、さらに笑顔を見せた。普段からおっとりとしたクエスティーナは笑顔になるとさらに無邪気さが増す。従来の育ちの良さからくる気品もあいまって、今回も例にもれず、その効果はてきめんに発揮されたようだった。
「そうですか、わたしたちの護衛に」
 通された応接室で、西カナン領主ドン・マルドゥークの妻ザルバを見て、2人はまずその若さに驚き、次いで、あまりにも普通であることを訝んだ。
「わたしたちのことをお気遣いくださいまして、ありがとうございます」
 手ずから入れてくれた紅茶が2人の前に差し出される。その指先にも震えはない。
 南カナンにクリフォトが顕現し、そこから魔族があふれ出していることは、すでに人々の口にのぼっていた。ウヌグの都を通ってきた2人は、至る所でささやかれる不穏なうわさ、再びこの地が戦場になるのかと戦々恐々とした人々の作り出す殺伐とした空気を肌で感じ取ってきていた。そのことをこの女性が知らないはずはない。だが表情にも、声にも、ティーカップを持つ指先にすら、動揺は伺えなかった。
「……魔族は、カナンを狙っています」
 クエスティーナは慎重に切り出した。
「ええ。存じています」
「いずこかへ、避難されているかと……思っていました」
「まぁ。それはなぜ?」
「南と東の両軍が突破されれば、魔族軍はセフィロトを目指して北上します……。西にも、侵攻してくる魔族は、いるでしょう」
 そして通り道となる町や村を蹂躙しながら、彼らは間違いなくこの城を目指してやってくる。軍とはそういうものだ。城を押さえることで、敵の戦意喪失を狙う。
 ザルバはかちりと小さな音をたて、カップをソーサーに置いた。
「わたしたちの身をそこまで案じていただきまして、本当にありがとうございます。ですが、わたしはここを離れるわけにはいかないのです。マルドゥークが不在の今、わたしまでここを離れれば、民はますます動揺を深めてしまうでしょう。やはり魔族がこの地へ押し寄せてくるのだと、一気に恐慌状態となるかもしれません。まだネルガルの反乱が残した爪あとから、民は立ち直れていないのです」
「そうですか……」
 そのとき、カチャリとノブの回る音がして、ドアが開いた。
 まるで西洋人形のようなかわいらしい少女が、体を伸びきらせてドアノブを回していた。ドアが開ききるのも待たずに中にいるザルバへ駆け寄ろうとし――部屋にいるのが母親だけでないことに気づいて、ぴたりと足を止める。
「かぁさま……?」
 お客の存在に、このまま入っていいものかためらう少女にザルバは両手を広げて見せた。
「いらっしゃい、メートゥ」
 ぱたぱたぱたっと軽い足音をたてて、メートゥがザルバの腕の中に飛び込む。安心できる母親の腕の中から、メートゥはあらためて見知らぬ2人を見返した。
「はじめまして、お嬢様……。クエスティーナ、です。クエス、と呼んで下さい……ね?」
 警戒心を感じ取って、クエスティーナはできるだけ優しく話しかける。しかしメートゥの関心を引き、目を輝かせたのはクエスティーナの脇にいたわたけうさぎの存在だった。
「うささん!」
 きらきらの表情で身を乗り出してくるメートゥの両手に、わたげうさぎを乗せる。
「やさしく、抱いてあげてください」
「うあー、ふわふわぁ……」
 わたげに頬をすりつけるメートゥに、サイアスがさらにチョコレートを差し出した。
「お父上からお好きとお聞きしましたので」
「メートゥ。お礼は?」
 しっかりとチョコレートも掴んだメートゥは、ザルバに促され、小さく「ありがとう、おにいちゃん」とつぶやいた。
 以後、話題はシャンバラでの日常や地球のことに移った。少し離れた床の上でわたげうさぎと一緒に寝転がって笑っているメートゥは、少しもこちらの話に気をとられている風ではなかったが、それでも小さな子どもの耳に入るような場所できな臭い話はしたくないという思いがどちらにもあった。
「まぁ、本当に?」
 カナンしか知らないザルバには、クエスティーナの語るシャンバラも地球も、未知の世界の話。その刺激的な内容にすっかり聞き入っている。
 そのとき、サイアスは携帯が振動したのを感じて、そっと席を立った。定時連絡にはまだ早い。いい知らせではないのだろう。クエスティーナもそれと悟ったが、面には出さなかった。ただ、ザルバはああ言ったけれど、やはり万一の場合を想定して彼女たちをシャンバラに落ち延びさせる手段をサイアスと話し合っておいた方が無難かもしれないと、思った。

*       *       *

「――おっし、報告完了っと」
 ピッとPWRボタンを押して携帯を尻ポケットに突っ込むと、さあこれでリサイタルに集中できるとばかりにマイクを拾い上げて、吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)は魔族たちに向き直った。
 彼らがどうしてこの西カナンにいるかは知らない。
 戦いは、南カナンで起きているはずなのに。
 だが現実として魔族がここにいるのであれば、そういった「なぜ?」とか疑問は、竜司にはどうでもよかった。
 翼を折りたたみ、地に降り立った魔族――その数7。
「ひー、ふー、みー……なぁ、この場合、やつらは「7人」って数えるのかぁ?」
 人じゃないけど。
「知りませんよ、そんなこと」
 魂鎖蛙斗穂織屡(コンサートホール)の外部広場で、バイオリンの調整をしていたヴォルフガング・モーツァルト(う゛ぉるふがんぐ・もーつぁると)が、弦を指で弾きながら答えた。
「んー……じゃあ「頭」だ! 牛みたいなツノあるし、毛むくじゃらだし。なんたって、めんどっちいしな!」
「お好きなように」
 そういうことには一切興味が持てないと肩をすくめ、ヴォルフガングは調律の終わったバイオリンで肩慣らしの短い曲を奏で始める。
 その音に、意外にも魔族が反応を見せた。
「おっ? なにやら感度のいいヤツがいるぞ?」
 人間の音楽が魔族に通用するのか、内心ちょっと心配していた竜司は、うきうきと声をはずませる。
 自分の歌には絶対の自信があった。少しでも歌心のある者であれば、必ず理解させることができると。ただし、それも人間に限っての話。魔族に人間の歌というものが理解できるかどうかは全くの未知数だった。しかし、ヴォルフガングの演奏にこれだけ反応を見せているのであれば、十分期待できるというもの。
 音楽が理解できるのであれば、魔族なんざ怖くもなんともない。
「このオレの痺れるような美声であんなやつら、この西カナンから追っ払ってやるぜェ」
 こちらを威嚇するように周囲を破壊しつつ近づいてきていたやつらが、それ以上進むのをやめてヴォルフガングに気をとられているのを見て、竜司はにやつきながら胸いっぱい息を吸い込んだ。
「オレの歌を聴けぇーーーっ!」
 シャウトで魔族の注意を引きつけることに成功した竜司は、彼らの気がそれる前にすかさず【恐れの歌】を歌った。
 その背後では武者人形がカタカタと微妙な動きをしている。バックダンサーのつもりだろうが、アップテンポで軽快な竜司の曲には全然ついていけていない。踊ることを放棄して直立不動で立っている狩猟採集民やヤンキーの方が、まだマシのようだ。
 ヴォルフガングが即興でアレンジを加えながらバイオリンをかき鳴らす間奏をはさみ、次いで【悲しみの歌】を歌い上げる。
 しかし残念ながら、そこにいる魔族全員1人残らず、彼の歌に聞きほれているわけではなかった。
 勢いと熱意はあるが、歌唱力は「もっとがんばりましょう」の部類に入る――本人は断じて認めないが――竜司の歌は、スキルが入らなければ魔族の足止めには通用しない。ヴォルフガングの奏でるなめらかな演奏は、少しは貢献していたが、十分ではなかった。
「――おっと」
 調子に乗ってオリジナル曲に入った途端、魔族は気力を立て直して竜司に襲いかかった。
「ケッ。てめーら、このイケメン様にケンカを売るたぁ上等だァ!」
 ナイフのような爪を立てて向かってくる、毛のおおわれた魔族を蹴り倒し、殴り飛ばす竜司。
「獣の分際で人間様にたてつこうなんざ、100万年はええんだよ!」
 魔族が立ち上がる前に、すかさず【適者生存】を使った。上から見下ろしつつ、さらに【その身を蝕む妄執】で自分への恐怖心を叩き込む。通常、【その身を蝕む妄執】で見せたいものを幻視させるのは無理なのだが、ある程度コントロールは可能だった。たとえば今回のように、自分に畏怖している瞬間につけ込めば、竜司=怖い存在として植え付けられる可能性は高い。
「ヒャッハー!! オイてめーら、アンコールの拍手はどうしたァ!!」
 ぺったり地面に両手両膝をついた魔族から、パラパラと拍手が起きる。
 竜司の完全勝利だった。