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リアクション
「私は……私は、ジェライザ・ローズ。医師、だ」
「動機と目的は?」
「シンが、いるから……」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は、ふさがった喉から無理やり言葉を押し出すように、一語一語意識しつつ発した。嫌悪に頬がこわばっているのが自分でも分かる。戦争を仕掛けた魔族への嫌悪と、そしてそれをはるかに上回る、同族を、仲間を、友人たちを裏切る己への嫌悪。
それを見透かし、バルバトスは口元に薄く笑いを刷く。
「シン?」
「オレだ」
ロノウェの問いに、固い声で悪魔シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)が応じた。彼もまた、苦悩で顔色が全く冴えない。
彼を見、もう一度ジェライザを見て、ロノウェは問うた。
「つまり、この悪魔がこっちにつきたいと言ったから、あなたは同族を裏切ったというの?」
「ロゼを追い詰めるな!」
シンが叫ぶ。
「ロゼはもう十分苦しんでるんだ! 苦しんで、それでも同胞やダチと戦えねぇって言うオレのために、オレについて来てくれたんだ! 勝手にしろと、オレと縁を切ることだってできたのに!」
「……シンは、私の家族だ。かけがえのない。家族は、命を賭けて守るものだ」
――家族……。
「お話にならないわ。つまりあなたは、彼が今度は『人間の友達とは戦えない。やっぱり人間の側につく』と言ったら、あっさりこちらを裏切るということでしょう?」
まとわりつくうとましい虫を払いのけるように、ロノウェは手を振った。その瞳には、ジェライザへの嫌悪がありありと浮かんでいる。
「そんなの信念でも何でもない。ただ依存しているだけよ。確たる意思も、道義も、何もない。判断すら他人任せのうすっぺらな者。
あなた、からっぽね」
その言葉は容赦なくジェライザの心を切り裂いた。
魔族などに無価値と判断されようが、それが何だというのか。そう思おうとしたが、うまくいかなった。彼女の言葉に含まれた多少なりとの真実――それは、ジェライザ自身胸の奥で感じていたことだからだ。だから目を閉じ、痛みにじっと耐えた。
「主体性のない者は、何の役にも立たないわ。放り出して」
そう、ヨミに命じたときだった。
「まぁまぁ、待って」
バルバトスが歩み寄り、うなだれていたジェライザの顎に指をあて、上を向かせた。
「私、こういう子、好きよ。気に入ったわ」
「――信用がおけません。こういう手合いは、必ず裏切ります」
「あらあら。ロノウェちゃんったら、いつから人間なんか信じたりするようになっちゃったのかしらぁ?」
おどけたっぷりにポーズをとると、こわばったロノウェの頬をツンツンする。
「やめてください」
ぷい、とそっぽを向く。
「あなたってほーんと、おカタイんだから。そんなだからいつまでたっても男にキスのひとつもしてもらえないのよ」
「なっ……!!」
ぼんっっと一瞬で真っ赤に染まった顔で口をぱくぱくさせるが、あまりのことに言葉が何も出てこなかった。
「か、関係ないでしょう……っ!!」
「おーほほっ。悔しかったら私のように男たちを胸の上で鳴かせてごらんなさいなぁ」
勝ち誇ってひとしきり笑ったのち、バルバトスはますます真っ赤になっているロノウェを振り返った。
「この子、私がもらっちゃってもいいわね?」
「――お好きなように」
バルバトスは再びジェライザを見、その青ざめた頬に爪を押しあてた。
「家族思いの赤薔薇ちゃん。放り出すと言われてほっとした?
あなたの苦悩する顔が好きよ。もっともっと苦しめてあげる。裏切らないように、なんて言わないわ。好きにすればいい。ただし、そのときは相応の覚悟を持ってすることね。生半可な決意でしたら、死んだ方がマシな目にあうのはあなたじゃなくてこの男の子かもしれなくてよ?」
ツツーっとすべった爪が、頬に赤いあとを残した。ぷつぷつと血の玉が盛り上がり、流れる。これがその約束――契約というように、ぺろりと爪についた血をなめとった。
「ねぇ」
と、数人あとに立つ女が、退屈そうに言葉を発した。
「いつまで待たされるの? まさか全員にそれをするつもり?」
大胆な発言に、何人かが息を飲んだ。
ロノウェ、バルバトスの目が射すくめるように女を見つめる。今、この瞬間、その首を落とされてもおかしくない。はたして2人はどう出るのか……場の注目が集まる中、女はなんでもないことのように横髪を指でさらさらと梳き、肩向こうへ払うしぐさをした。
「あなたは?」
「メニエスよ。聞き覚えあるかしら?」
彼女の名前に反応したのは、ヨミだった。ピクッと耳を立て、ぱたぱたロノウェの元に走り寄る。ロノウェはしゃがみ込み、ヨミからこしょこしょ耳打ちを受けた。
「――なのです」
「そう。アバドンの下にいたのね」
「それで? 意見するってことは、何か案があるから言ってるのよねぇ? 子猫ちゃん」
ただ爪を立ててるだけじゃないでしょう? とバルバトスが促す。
「ええ。あなた、言ったでしょう? 人間は信用しないって。なら動機を聞こうが目的を聞こうが同じじゃない。何も変わりはしないわ。意味もないことをして、あなたたちは暇つぶしになるかもしれないけど、こっちは退屈なだけね」
「じゃあ、あなたは何をすれば私たちを変えられると思うわけ?」
「魂よ」
昔から、悪魔との取引きは己の魂を引き換えにすると相場は決まっている。メニエスはあっさり答えた。
「あたしの魂を差し出すわ。それでいいでしょ?」
その言葉に、バルバトスとロノウェは視線を合わせた。目が何かを語らい、バルバトスは素っ気なく肩をすくめる。ロノウェは目を伏せ、ふうと息をつくと、全く気乗りのしない表情でメニエスの前に立った。
「私たちは人間を信用しないけど、人間がどういう生き物か、全然知らないわけではないの。だから魂を差し出すならあなたじゃなくて、あなたのパートナーにしてもらうわ」
その言葉に、メニエスはまたかと内心げんなりした。アバドンと同じだ。あちらは石化刑だったが。
だが考えてみればアバドンは彼らの配下の者だったのだ。人間への評価や判断といったものは、同じところからきていてもおかしくはない。
「どうなの? あなた。彼女のために魂を差し出すことはできる?」
ロノウェの言葉に受けて立つように、ミストラルは無言で一歩前に出た。表情はいささかも崩れず、迷いも気負いもない。
「見事ね」
ロノウェは評価し、彼女の心臓の上に広げた指先を押しあてた。ふわふわとした白い煙状の物が現れ、ロノウェの右手にまとわりつく。その指が胸から離れた瞬間、ミストラルはその場に崩折れた。
「ヨミ」
「はいなのですっ」
いつの間に用意していたのか、頭の上に自分の顔と同じくらいの大きさの壷を掲げて、ヨミがぱたぱた傍らに駆け寄った。
壷の中へ魂を移し込み、ふたをする。
「これであなたの魂は未来永劫、私の物。私に逆らうことはできません。あなたは意思を持たない人形と同じ。私が指を振れと言えば振り続け、待てと言えば待ち続けるのです。私が滅しない限り取り戻すことはできないと覚えなさい」
メニエスの腕の中、意識を取り戻し、うっすらと目を開けたミストラルを見下ろして、ロノウェは断言した。だが次の瞬間。
「きゃー、ロノウェちゃん、かっこいいわぁ」
バルバトスの軽い物言いで、そのすべてがおじゃんになる。
「もう……っ! もう! 何なんですかっあなたはっ!!」
「うふふ。
さあ、どうする? 自分の魂を差し出してまでパートナーをこちらにつかせる覚悟のある人間は、いるのかしら?」
口調は先までと同様、道化たものに変わりなかったが、ロノウェに向けるものとは対照的な、冷めた目が全員をねめつけた。
魂を差し出すということは、奴隷となるも同じ。相手が魔神では、むしろそれ以上かもしれない。
ざわつく中、前に出たのはレイジ・ルクサリア(れいじ・るくさりあ)だった。
「俺の魂をやれば、エルを信じてもらえるんだな?」
「レイジ」
霧雨 エルセレーヌ(きりさめ・えるせれーぬ)は、平坦な声でその名を呼んだ。それは、レイジの申し出たことに比べればとてもあっさりとした声で、それだけに無情な響きのするものだった。
冷たく、無表情な普段の彼女をよく知る者であれば、むしろかすかな抑揚がついていたことに気付いて驚いたことだったろう。わずかに瞠られた目も、他の者の驚愕ほどの意味があるのだと。
だがこの場に、それと悟れる者はいなかった。
「ふふっ。あなた、この子の恋人?」
バルバトスが真正面に立つ。
「いいや。あいにく俺はガキには興味がねーんでね。どっちかってーとあんたの方がずっと好みだよ、美人のおねーサン」
「あら」
美人と言われてうれしげににっこり笑った次の瞬間――
「……ぐっ……!」
レイジは全身を硬直させ、カッと目を見開いた。
バルバトスの指が容赦なく胸に爪を食い込ませ、捻り、にじみ出てきた魂をむしり取った。そして、倒れ込まれるのを拒否するように突き飛ばす。
「――乱暴ですね」
ロノウェがあきれたように言ったが、責める響きは全くなかった。
意識を失って倒れたレイジには見向きもせず、上を向けたてのひらに現れた壷の中へ魂を封じる。きっちりふたをしたあと再び壷を消したバルバトスは、足下に倒れているパートナーを無表情に見下ろしている少女に、ほおが触れ合わんばかりに顔を近づけ、そっとささやいた。
「あのね、イイコト教えてあげる。魂を取り戻す方法は、私たちを殺す以外にもあるのよ。でも教えてあげないから、魂を取り戻したければ自分たちで見つけてごらんなさい。もっとも、どちらがマシかはひとによりけりかもしれないけれどね」
くつくつと楽しげに笑うその姿は、まるでそう動くことを期待しているかのようだった。
――そうかもしれない、とエルセレーヌは思った。この天使のように美しく悪魔よりも残忍な魔神は、決して私たちに従順さを期待しているのではない、と。
「……う……」
「バルバトス様」
意識を取り戻したレイジが、頭を振りながら立ち上がるのを横目に、エルセレーヌは切り出した。
「現在の戦況についてですが、人間は、必ず奇襲をしてきます。信じられないかも知れませんが、闇に強い悪魔相手に夜襲をしたり、大軍に対し少数で飛び込む人間がいるのです。そういう敵を囲い込み、逆に集中放火して撃退しましょう」
従順さは期待されていない。しかし、有能であることは求められているはずだ。
真っ向から目を見返し、淡々と進言する彼女に、何か言わんとバルバトスが口を開いたとき。
「ロノウェ様、バルバトス様! 大変です!!」
鎧をつけた魔族の兵が現れ、その場に片手をつきしゃがみ込んだ。
「無礼なのです! ロノウェ様にお言葉を届けたくば、まずヨミを通すのですっ」
ぱたぱた駆けつけたヨミが両手を横に広げ、キシャーッと威嚇しながら兵の前に立ちふさがる。
「も、申し訳ありませんっ」
「いいわ、ヨミ。
直話を許します。報告しなさい」
「――は……ははっ。そ、それでは、ご報告させていただきます!
森の中に配しておりました斥候から連絡が入りました。鋼でできた巨大な双頭の獣に導かれた3体の鋼鉄の騎士が、おそるべき速度でこちらへ向かっていると……!」
「それで、距離は?」
「そ、それがほとんど……あと数分でこの地に到達します!!」
「なんですってぇーーーーっ!!」
キシャーッと再びヨミが牙をむいて威嚇の擦過音をたてた。ヨミは自身は本気で相手を威しているつもりなのだが、はたで見ている者たちからすれば、どう見てもそれは子犬か子猫が毛を逆立てているようにしか見えない。
しかし驚くほど兵はかしこまり、身を縮めて頭を地面についた手すれすれにつけた。
「ゼブル小隊はどうしたのですかっ! ヨミは何の報告も受けてませんよっっ! 何かあったらすぐに報告しなさいと言ってあったはずですっ」
「――はっ。それが……定時連絡の兵も、現れず……われわれも訝しんでおりましたところで……」
それまで受けていた報告は、何の不都合もないものばかりだった。人間どもの疲労はピークに達しているもよう、あと少しで突き崩せる、と。
特段、上に知らせるような内容のものがなかったから、次の定時までとりあえず様子を見ようと判断してしまった。どうせ少しばかり遅れているというだけなのだろう。なに、たいしたことではない、時間が過ぎていることに気付いていないだけだ、じきにあわてて飛んでくる――そう考えてしまった、完全に自分たちの失態だ。そうと分かっている兵は、がたがたと身を震わせる。
「申し訳ございません……!!」
「許しませんっ!! 許しませんよ、ヨミは!! ロノウェ軍にあるまじき失態です! おまえたち残らずヨミがこの牙で噛み砕き、引き裂いてやるのですっっ」
ムキーーッ!! と手をぶんぶん振り回すヨミの声に重なって、そのとき、爆音が響き渡った。