リアクション
「ティアン、サイドスラスター全開! 最高速度でこのまま突っ込め!」
「ええっ!?」
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)からの言葉に、メインパイロットのティアン・メイ(てぃあん・めい)は驚声を上げた。
てっきりチョコームラントからいったん距離を取るための加速だと思っていたのだ。その上で砲撃をするか退却するとばかり……。
「こ、このままって……う、嘘でしょう? この防御陣の上を突破しようなんて無茶よ!」
「もう奇襲作戦は完全に崩壊した。僕たちのアルマイン1機じゃあほかに方法がないんだ」
もともと、この奇襲作戦は敵後衛陣の完全攻略ではなく、損害を与えていったんザナドゥ側へ退かせることが目的だった。だがやはり戦力が不足した。イコン4機で与えられる程度の損害では、この大軍勢はびくともしなかった。
「このまま僕たちが突っ込んであのゲートを抜けてしまえば、敵は戦略目的上兵を戻さざるを得なくなる。これが一番確実な足止めさ」
撃墜せんと地上より放たれる魔力の塊やサンダーブラストの雨をくぐり抜け、シールドを用いてもかわせないものはマジックカノンで相殺する。アルマイン・M・エインセルは、敵陣上空を駆けた。ショコラ、アルマイン・デッドも追ったが、魔族の放つ攻撃が彼らの接近を阻んでいた。
玄秀はメインモニターを見た。ザナドゥにつながる入り口――亀裂がぐんぐん間近に迫り、もはやメインモニターはそれ以外映らなくなっている。
(ティアン、ごめんよ……)
彼の作戦に従い、今必死にアルマイン・M・エインセルを操っているパートナーを思い、玄秀は少しだけ罪悪感を感じた。
本当は、綾乃たちの作戦に乗った最初からこうするつもりだったのだ。奇襲していると見せかけ、チャンスを見つけてあのゲートへ飛び込む。
ザナドゥに渡りたい。あの地へ、どうしても。だがそのために魔族につくのは真っ平ごめんだ。ただ、そのために友人も、ティアンも、だます結果になってしまった。
(――いいや、だましていない)
首を振り、そのやましさを振り切った。
襲撃には最後まで参加した。作戦失敗が決定してから、独自行動に出たのだ。退却せず、前進を選んだだけ。これは裏切りではない。
(ただ、ティアンだけは巻き込んでしまったけれど……)
「玄秀! あれを見て!!」
ティアンの声が、いつの間にかうなだれていた玄秀の面を上げさせた。
メインモニターが下方45度に切り替わっている。巨大魔族のてのひらに乗った、左右非対称のツノを持つ三つ編みの少女――先のおり、ミサイルを巨大ハンマーで撃墜した魔族だ。そして今も、右手には巨大ハンマーの柄を持っている。
その姿に、玄秀は背筋を流れる冷や汗を感じつつも、笑みを浮かべずにはいられなかった。
「……来いよ、魔神」
もうマジックカノンは撃ち尽くした。ソードを構える。
その言葉が、はるか下方の彼女に届いたはずはないのだが。ロノウェは巨大魔族のてのひらの上でグッと膝を折り、カタパルトされると同時に跳躍した。
その速度は脅威的だった。一瞬後にはアルマイン・M・エインセルの頭上高く位置し、巨大ハンマーを振り上げている。アルマイン・M・エインセルの外部カメラがようやくその姿をとらえたとき、見えたのは振り下ろされる巨大ハンマーと、その表面でさながら白き炎と化した白光――放電現象だった。
「うわああっ!!」
巨大ハンマーの破壊力に超級の雷撃が加わっていた。装甲のほぼ全てが瞬時に破砕し、バラバラに砕けて飛び散る。寸断された駆動ケーブルから逆流した油が噴出し、黒い雨となって降り注いだ。
「げ、玄秀……オーバーロードです。油圧低下……電子回路完全停止……アフターファイアー……爆発します……っ!!」
「よし。脱出だ、ティアン!」
アルマイン・M・エインセルはまっさかさまに落下した。制動をかけるものは何もなく、排気デバイス口から炎と黒煙が吹き上がる。そして地上との距離十数メートルの所で大爆発を起こす寸前、小型飛行艇オイレが飛び出した。
爆風を追い風としたオイレは、黒煙と飛び散る残骸にまぎれて一直線にザナドゥへの入り口を目指す。
「玄秀、どうして……!」
退却をとらず、なおも入り口を目指す玄秀に、ティアンは今にも泣き出しそうになっていた。もう限界だ、これ以上は耐えられない……!
「ごめん、ティアン。だけど絶対、きみは僕が守るから」
玄秀の目は決意に燃え、わずかも揺らいではいなかった。ひたすらゲートのみを見つめ、その先にあるザナドゥを望む。
だがそれを見逃すロノウェではなかった。
巨大魔族の頭に着地した彼女は巨大ハンマーを遠心力で振り戻し、両手で構えるやオイレに向かい、再び跳躍しようとする。
その瞬間、一発の銃声が戦場に響き渡り――ロノウェは突然わが身を襲った衝撃にカッと目を見開き、巨大ハンマーをすべり落とした。
カモフラージュにて森の木々にまぎれ、あるかどうかも分からない瞬間の訪れを待っていたのは、スナイパールース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)だった。
魔族たちに気づかれないよう気配を押し殺し、指ひとつ動かさず、ひたすら好機を待ち続ける。
そうしてついにやってきた、おそらくはただ一度の好機――司令官である魔神が単身現れ、彼に無防備な背中を向けた――その瞬間にルースの胸に浮かんだのは、北カナンにいて橋頭堡確保の部隊に婚約者ナナ・マキャフリーの姿ではなく、置いてきたパートナーソフィア・クロケット(そふぃあ・くろけっと)の姿だった。
『ルース、お願いです。どうか、無茶だけはしないでください……』
本当は、腕づくでも止めたかったのだろう。だがそうするかわりに祈るように両手を握り締め、彼に何度も約束をさせた。
『何があろうと、きっと戻ってくる』
と。
だがそれはうそだと、ルースは心のどこかで分かっていた。
狙撃が成功してもしなくても、彼を待つのは魔族の大軍勢。逃げたところで森の出口へたどり着く前に追いつかれ、捕まって、八つ裂きにされるのがオチだ。
ナナのことはいい。きっとこのことを知ったなら、さんざん怒って、罵って……そして彼を悼んで泣いてくれるだろう。だが、いつの日か立ち直る。必ず彼の死を乗り越え、立ち上がって、再び幸せを掴もうとするに違いなかった。
しかしソフィアは?
ソフィアを襲うのは…………パートナーロスト。それがどういう症状となって現れるかは、そのときにならなければ分からない。最悪の場合、衝撃に耐えられず人格崩壊や昏睡したままということも……。
(すまない、ソフィア)
心の中で詫びながらも、ついに照準器に魔神の後頭部をとらえたとき、彼は迷いを見せなかった。たしかな指の動きでレーヴェンアウゲン・イェーガーのトリガーを引き絞る。
銃口より射出されるエネルギー弾。その凶暴な牙が魔神の後頭部にめり込み、内部を引き裂き、掻き回して、命を奪うに違いない。そう確信する。しかしトリガーを完全に引ききるコンマ数秒前、耐え難い激痛が両腕にその牙を食い込ませた。
痛みにしびれた腕からレーヴェンアウゲン・イェーガーが落ちる。
「…………ッ……!!」
バランスを崩し、地表へ落下しながら、彼は己の敗北を悟った。
「これはこれは。思った以上にいい手土産ができたよ」
頭上の枝より落下してきたルースを見て、毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)はにやりと笑った。その手には妖精の弓が握られている。ルースの両腕に突き刺さった2本の矢は、大佐がサイドワインダーを放った張本人であることを告げていた。
「もう少し早く、狙撃を阻止できたんじゃない?」
分離して人間形態となった魔鎧アルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)が、巨大魔族の上のロノウェの姿を見やりつつ、不服をにじませた声で文句を言った。
「ロノウェ様が怪我をしてしまわれたわ」
うずくまり、右肩を押さえているロノウェ。ルースの放った弾はそれて、わずかに肩を貫通したにすぎなかったようだった。
「ばかだな。事前に止めてしまったらありがたみが薄れるだろう? きわどいところで攻撃をそらし、命を救ったというのが一番効果的なのだよ」
ちらと後方のロノウェを肩越しに返り見る。
今、ロノウェは巨大ハンマーを握り直し、彼らを見下ろしていた。太陽を背にしていて、その表情は伺えない。肩を撃ち抜かれたことなどなかったように見える。
そこに、エンシェントに乗った帽子屋 尾瀬が後方から近寄った。おそらくは先のオイレの2人を撃墜したことを報告しているのだろう。考えるのは皆同じだ。ただロノウェ軍に下っただけでは満足できない。他の者を出し抜き、より高い地位を得んがための戦いはすでに始まっているのだ。
大佐は慎み深く己の功績を隠そうとは思わなかった。その他大勢はごめんだ。地に下り立ったロノウェを見ても、アルテミシアのように膝をつこうとはしなかった。
「あなたは?」
「毒島 大佐。パートナーのアルテミシアから常々あなたの偉大さを聞かされておりまして、このカナン侵攻に際し、ぜひあなたの翼下に入れていただければと思って参上しました」
大佐の、下手に出ているようでいてそうでもない態度に少しばかり眉を寄せつつ、ロノウェはルースの前に立った。その肩の傷はとうにふさがり、うっすらピンクの丸いあとがついた肌と服にあいた穴が痕跡を残すのみだ。
「これが先ほど私に攻撃を仕掛けた者ね」
大佐のフラワシ――ピアッシングフェザーによって拘束された男を見る。
ルースは無言でロノウェを見上げていた。泣いて命乞いもしない、無言を貫くその姿。その目に浮かぶは不屈。機会がありさえすれば、また同じことをすると告げている。
これは、何を問うても無駄だろう。ロノウェは悟った。この手の者は、何をどうされようとも決して仲間に不利なことは口にしない。味方であるならこれほど頼もしい存在はないが、敵となれば厄介なだけだ。
だから彼女は何も訊くことなく、黙って腕を引く。
次の瞬間、右手が、まるで紙製の人形でもあるかのようにやすやすとルースの胸を貫いた。
* * *
流し台の中、ガチャン、と音をたててカップが割れた。
「どうしたの? ソフィアさん」
一緒にお茶の準備をしていた
ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)が、聞きつけて振り向く。彼女の前、ソフィアはよろめき、流しに手をついた。支えようとしたが、ぶるぶる震える腕はぐにゃぐにゃで全く力が入らない。
ぐるぐる回りだす視界、しびれて感覚の失われた手足。魂が浮遊するような感覚と対照的に、頭の芯は冷たく、うつろに、落ちていく……。
ほどなく、ソフィアの視界は真っ暗になった。
「…………ルー……ス……」
「ソフィアさんっ!!」
ロートラウトの伸ばした手の先で、ソフィアは倒れた。
* * *
「この人間の始末、いかがいたしましょうか」
「ここに捨て置いていいわ。どうせ、もう何もできないもの」
仰向けに横たわったルースに背を向け、アルテミシアや大佐を伴って本陣へと戻る。
直後、ロノウェの頭の中に声が響いた。
《ロノウェさん、聞こえますか》
「パイモン様!」
ロノウェの口をついて出たその名前に、悪魔や魔鎧の注意が、次いでパートナーたちの反応を見たコントラクターの目が、ロノウェにそそがれる。ロノウェは彼らを完全に無視し、
パイモンからのテレパシーに集中した。
《北の地にて奇妙な気配を感じとりました。かすかなものですが、これはまぎれもなくセフィロト……どうやら彼らが何らかの動きに出たようです。あなたは至急こちらへ戻り、対応にあたってください》
「ですが、入り口の防衛が――」
《そのことについてはバルバトスさんにすでにお願いしてあります。戻り次第、彼女が閉じてくれるでしょう》
「……分かりました。これよりロノウェ軍はザナドゥ北の地に赴き、事態の把握に努め、これの収拾にあたります」
《お願いします》
そこでパイモンの気配は遠ざかった。
「ヨミ」
「はいなのですっ」
ぱたぱたぱたっとヨミがその足元へ駆け寄る。
「至急ザナドゥへ戻らなくてはならなくなったわ。かといってここを無防備にしておくわけにもいかない。念のため、あなたの軍を残していくからバルバトス様がお戻りになられるのをお待ちして、一緒に戻っていらっしゃい」
ここがどれほど重要な場所か、ヨミも知っている。そこを任せると言われたも同然のことにヨミは一瞬呆然となり、ぽっかり口を開けてしまったが、はっと正気に返るやあわててぴしっと背筋を伸ばした。
「は……はいっ! このヨミにお任せくださいなのですっ」
だが、あの裏切り者たちをヨミと残していくわけにはいかない。こちらに加担すると表明したが、まだまだ信用のおけない者たちだ。
「あなたたちは私について来なさい。ちょうどいいわ、あなたたちの覚悟を見せてもらいます」
そしてロノウェは、言った。
「――ヨミ。口の端にチョコがついてるわよ」
ヨミはこしこしと袖で口元をぬぐったのだった。
ロノウェ本陣強襲作戦は、結果としては失敗だった。確かに入口を守っていたロノウェ始め、一部の魔族はカナンから撤退したものの、それが強襲を受けたからという理由でないことは、明らかだった。
それでも、彼らの働きは事態に全く影響しなかったわけではない。危険を冒しロノウェを狙撃したルースの行動は、彼自身のその後も相俟って、戦線に大きな影響を与えていた。
「……う……」
地面に伏せていた男の、閉じていた目がゆっくりと開かれ、焦点が合わさっていく。
「……俺……は……」
ひどく重い腕を動かし、胸元へ手を当てた彼、ルースは、そこにあるはずのものがないような、激しい虚無感に襲われる。
「俺は……死んだ、のか……?」
彼がその後、南カナンの兵に保護されるまでには、もう少し時間を要することとなる――。