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リアクション
■ザナドゥ〜橋頭堡確保(1)
「ここが……ザナドゥ……?」
世界樹セフィロトに開かれた亀裂をくぐった月詠 司(つくよみ・つかさ)がもらしたひと言は、少し呆然としたようなそんな言葉だった。
語尾が疑問形になってしまうのも仕方ない。魔族の本拠地、地の底にありて陽の光の届かぬ場所というから、どんなおどろおどろしい場所かと、内心戦々恐々としていたのだ。
ところがくぐってみれば、なんてことはない、ただの広々とした空間だった。待ち受ける敵の姿のようなものはなく、吹き渡る風は土のにおいをはらみ、かすかに川のような水の流れる音もする。たしかに空に太陽はなく、暗いが、真っ暗というわけではない。目が慣れさえすれば、2メートル先に立っている人でも判別がつくだろう。
「草、があるんだ……」
しゃがみ込み、触れていたらば。
カチャっと耳元で音がして、首に何かが巻かれた。
「なっ……何ですか!? これは!」
「あら、間違えちゃった♪」
いきなりつけられた首輪にびっくりして立ち上がる司の背後、シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)がコロコロと笑った。
「悪気はないのよ、悪気は。ただ間違えちゃっただけ」
と肩をすくめつつ、シオンは脇に並んだペットたちに特製スパイカメラセットをつけた首輪をはめていく。
司は、本当にこれは間違えただけなんだろうか、それともわざとなんだろうか……いや、間違いだとしてもそれはつまり自分もペットと同じと思われているということにならないか……と、ぐるぐるぐるぐる頭の中で思考を回転させていた。
「さあできた。みんな、かわいいわよっ」
ぱんぱんと手から埃を払うような動作をして、シオンは首輪や胴輪をつけた包帯ネコや吸血コウモリたちを順繰りに見る。そして最後に司を。
「……これは一体……」
「イッツ周囲警戒&情報収集!」
青ざめている司と対照的に、シオンは上機嫌だ。魔族の住む新天地ザナドゥについての情報を得たくて得たくて仕方がないらしい。それにしたってなぜ司が?
「え? だってツカサは生涯みんなのパシリww なんだもの」
だ、そーです。
「ええっ!? ちょっ……何ですかっ!? それはっ」
「いいからいいから。得られた情報はイナンナくんやエリザベートくんにも渡して、もちろんみんなで共有化もするから。上空のギルガメッシュでは無理な部分って絶対あるでしょ。こんなに暗いんだもの。だからこういう役割って必要なのよ」
「それはそうかもしれないですけど……」
見知らぬ地に侵攻するのだから、先遣隊による調査は必要だ。その重要性は司にも分かる。だけど、シオンに言われることによる、この妙な割り切れなさは何なんだろう? ほかの人に言われたのであれば、多分感じないであろうこの理不尽さは……。
「それで……シオンくんは?」
「あら。ワタシはもちろん、みんなのカメラから送られてくる情報の確認と整理よ。7個もあるんだから膨大な量になるでしょう? ここでできる限りしておいたら、その分みんなに渡す時間が短縮できるもの。
さあみんな、お仕事お仕事っ」
シオンの合図で周囲に散っていくペットたち。頭の上を飛び去っていく吸血コウモリたちを見やりつつ深いため息をつくと、司もデジタルカメラを手にとぼとぼと歩き出したのだった。
そして一方、シャンバラ教導団所属【龍雷連隊】の方は、同じ情報収集でも、もう少し本格的なものだった。
「この近辺の情報収集は彼らがしてくれるようだから、われわれはさらに先を行おう」
松平 岩造(まつだいら・がんぞう)が振り返り、仲間たちに告げた。
「それはよいが……長時間の移動は避けるべきじゃということを頭に入れておくんじゃぞ」
後ろに従っていた魔鎧武者鎧 『鉄の龍神』(むしゃよろい・くろがねのりゅうじん)が警告を発した。その言葉に、武器の確認を行っていた岩造の眉がきつく寄る。
「何かあるのか?」
「ここの大気は人間に悪作用する。心身ともにの」
「毒ということか?」
「いや。地上でもあるじゃろう、長雨が続けば体に不調が出る。天気の悪い日が続けば気持ちがふさぐ。心が弱ければうつにもなる。あれが短時間で襲うと思えばよい。ただ、おぬしたちは今、免疫がない。こうして話して聞かせている分、心構えはできるじゃろうが、やはりいきなり長時間浴びてよいものでもなかろう」
岩造は、行く手を見た。
薄い闇と濃い闇しか見えない先を。
「ではここにこうしているのも問題ということか。カナン側で待機してもらい、橋頭堡ができあがるまでの間、必要最少人数で交代制とする方がいいか」
「ここなら大丈夫じゃ。セフィロトの力が浄化してくれておるからの」
『鉄の龍神』が振り返ったことで、岩造もたった今くぐり抜けてきたゲートを仰いだ。
それは、発光する樹木だった。
光の世界樹セフィロトの『芽』。すでに十数メートルの高さに達しており、人の目には巨木に映ったが、これでもまだ『芽』ということらしい。その証拠のように、この樹はいまだ成長を続けている。爆発的な速度とは言えないが、それでも徐々に伸びていく枝葉が目視で確認できた。
これが、イナンナの言った橋頭堡。
このセフィロトが育ち、この地に完全に根を張ることができるまで守りきること――それが彼らの役目だ。
「この光が届く範囲内であれば、人間は影響を受けることはない」
「そうか。では行こう。全員、敵魔族への警戒を怠らないように」
岩造はほかの仲間――ユイ・マルグリット(ゆい・まるぐりっと)、泉 宗孝(いずみ・むねたか)、クロイス・シド(くろいす・しど)、石動 星羅(いするぎ・せいら)――に合図を送ると、まっすぐ、ゲートから正面に向かって歩き出した。
念のため、と各自時計を合わせ、30分のタイマーをセットした。片道30分、往復1時間。それくらいなら影響も出ずにすむだろう。復路ではセフィロトの保護距離も増えているだろうし。
だが案外、影響というのは侮りがたいものなのかもしれない。
歩き始めて早々、クロイス・シド(くろいす・しど)は隣を歩くパートナーの石動 星羅(いするぎ・せいら)の様子がおかしいことに気付いた。
「おい、大丈夫か? 具合悪そうだぞ。なんだったら戻っておくか?」
「……うるさいですね」
星羅はクロイスから向けられる気遣いすら、うとましげな表情をする。そしてすぐさま、そんな態度に出てしまったことを恥じるように、チッと舌を鳴らした。
「私は魔鎧ですから、ザナドゥの影響は受けません」
「あ、そうか」
「そうじゃなくて……」
周囲の薄暗がりにまぎれるように、さっと目を伏せる。
どうにも引き剥がせない、星羅のいらだちの原因は、ここに来る前に開かれた作戦会議場での一幕にあった。
会議自体はどうということもなく進んだ。先遣部隊の周囲索敵、情報収集、橋頭堡の防衛……クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)からの提案により、橋頭堡確保部隊は2部隊に編成された。
『橋頭堡を構える場がはたしてザナドゥのどういう場所なのかもわれわれには掴めていないままの進攻になる。敵が待ち構えている可能性は低いだろうが、やがて現れるのは間違いない。地の利は向こうにあり、攻防のタイミングも敵次第。考え得るザナドゥ側戦術としては、
・初手に全戦力をつぎ込み、橋頭堡を叩き潰しにかかる。
・初手でこちらの戦力を消耗させ、本命として第二撃を投入する。
というところか。
どちらの場合でも対応可能なように、こちらも戦力を2つに分け、うち1隊で敵の初撃をこらえられればよし、敵初撃が厳しければ第2隊も即時投入で対応する』
それが、彼女の提案らしい。
「らしい」というのは、その場に星羅は参加させてもらえなかったのだ。
彼女のパートナーエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)によって……。
『タイミング勝負なら、情報が漏れた時点で終わる。なら、こっち側についてても悪魔や魔鎧には作戦内容伏せとくべきだな。
悪魔だ魔鎧だってより、情報ひとつで生き死に決まる局面で、自分が情報教えて貰えないからってゴネるやつは信用できねーな』
彼女はぬけぬけとそう言い、会議場への道をふさいだ。
「……ふざけたことを……!」
今思い出しても頭にくる。
戦場に立ちながら、作戦を教えられずにいることが正しいことだとぬかしやがった。
自身も口にしていたではないか『生き死にが決まる局面』だと。ここは、絶対死守しなければいけない最前線なのだ。相手も、決して築かせてはならないと、必死になって向かってくるだろう。
なのに何の情報もなく、ただ言いなりになって戦えと? それに文句を言ったり逆らったら非国民か? 反逆者か? かかっているのは自分の命なのに。
「星羅、本当に大丈夫なのか? 無理してないか?」
うつむき、ぶつぶつつぶやく彼女を心配して、クロイスが再び問うた。気遣わしげにこちらを覗き込んでくる、そんな彼を見て、星羅も少し反省する。
クロイスは会議後、作戦について話してくれた。「おまえがそんなことをするわけないのは分かっているからな」と、信頼をくれた。その相手に対し、こんな態度をとるのはフェアじゃない。
「――すみません。少し考え事をしていました。もう大丈夫です」
「そうか。よかった」
そのとき、先頭を行く岩造と『鉄の龍神』が立ち止まった。こちらに来いと、手を振っている。
「隊長たちが何か見つけたみたいだ。行こう」
そう言って、走り出す前。クロイスはぽんぽんと、星羅の背中を軽く叩いていった。あんまり気にするなと言うかのように。
彼にはお見通しだったのかもしれない……なんとはなし、自嘲的に口元をゆがませた彼女の横に、クロイスと代わるように金髪の青年が並んだ。オールバックにした髪をバンダナごとくしゃっと掻きあげ、ふうと息吐く姿を横目で探る。
たしかユイ・マルグリット(ゆい・まるぐりっと)のパートナーで、泉 宗孝(いずみ・むねたか)といったか。
「あのな。今から気にしたってしゃーないで。まだ始まったばかりやさかいな」
彼もまた魔鎧。ザナドゥに属する者でありながらザナドゥにつかず、パートナーのいる人間側を選んだ1人だ。
「俺らはこっから先、何度でも試される。勝ってあたりまえ、負けたら手ぇ抜いたんかと疑われる。戦い拒否りゃ、裏切る気かと責められる。状況が緊迫すれば、あっちの側だ、信用できないと罵られることもあるやろうな」
一番つらいのは彼らなのだと、理解してくれる者がはたしてどれだけいるのか。
ザナドゥ側へつくのは簡単だ。もともと故郷、魔神たちも迎え入れてくれるだろう。一挙手一投足を疑いの目で見られることもない。それを拒み、あえて人間側についた、その決意を疑われるのは胸が痛い。
「けど、うちのユイや、おまえんとこのクロイスみたいなモンもよーさんおる。もともと俺ら、あいつらのためにこっちおるんやし。
どーでもいいやつらの言うことなんか、気にせんといこや」
「そうですね……。ありがとうございます」
礼を言う星羅の顔を正面から見たとき、不意に宗孝の中に奇妙なざわめきが湧き上がった。
ひとめぼれとか、そんな生易しいあたたかな感情ではない。もっとおちつかない、毛羽立った毛布で肌をなでられたような、どちらかというと嫌悪に総毛立つたぐいのもの。
(なんや、これ……。なんや今、イヤなこと思い出しかけたような……)
そのことを意識したのが早すぎたかもしれない。それが何か、探ろうとした瞬間、それは脳裏で霧散してしまった。
「さあ私たちも行きましょう」
「あ、ああ……」
彼女にはできるだけかかわらない方がいい。内なる声が悲鳴のようにわめき立てる中、宗孝は星羅の後ろについて走った。
「道だ」
岩造は簡潔に言った。
草原より少し高台にあるそこは、道端の草の丈のせいで見えなかったのだが、たどり着いてみれば結構な道幅のある石畳の舗装路だ。
ここまで来ると、川のせせらぎのような水音は、はっきりと聞こえるようになった。
「どちらへ行きましょうか?」
「あっちだ」
ユイからの質問に、岩造が進行方向に伸びた道を指した。理由は単純明快、反対側へ進めばセフィロトと三角形を描く形になって、無駄な距離ができてしまうからだ。どうせなら、できる限り距離を稼いだ方がいい。
「舗装路があるってことは、この先に町があるのかな?」
探索がしたかったものの、単独行動がいやでくっついてきた輝石 ライス(きせき・らいす)がぽつりと言った。その手は一生懸命地図を作成したり、周辺の特徴を捉えようとがんばっているが、あかりになりそうな物は何ひとつ持ちあわせがなかったため、かなり適当な線を引いている。一応、10歩進むごとに1センチ程度の線を引いているつもりなのだが。
「うーん。どうだろう? むしろ離れていっているのかもな」
パートナーのミリシャ・スパロウズ(みりしゃ・すぱろうず)が、適当に答えた。その手はサンドイッチを掴み、むしゃむしゃ食べている。
「彼らと別行動をして、反対側へ行ってみれば分かるんだがな。そうはしたくないんだろう?」
「あたりまえだ。どんな魔族がいるか知れたものじゃないんだぞ――っていうか、よくこんな状況で物が食べれるな? ここは敵地なんだぞ?」
かなりあきれ返ったライスの物言いに、うん? と小首を傾げて、ミリシャは反対側に持ったバスケットを差し出す。
「ライスも食うか?」
「食べねーって」
こんなにおいしいのに。ミリシャは手に残っていた最後のかけらをぽいっと口の中に放り込む。
「なに、ほかにすることがないのでな。長時間の探索に備えて持ってきたんだが、ここには長くいられないらしいから、無駄にするぐらいなら食べてしまおうと思ったのさ。
周囲を調べようにも、こう暗いと双眼鏡は意味がないし、携帯のGPSも使えない。――まぁこれは、衛星がないからあたりまえなんだが」
ということは、ここではそもそも携帯は使用できないということだろうか?
(よくよく考えてみれば、ザナドゥに基地局があること自体、考えづらいからな。次に来るときは無線機を用意しなくてはいけないか)
そんなことをぼんやり考えながら最後尾を歩いていたら、ふと水音が真下から聞こえることに気がついた。
「おい、ライス。見てみろ」
道の端に寄り、黒い影に手を伸ばす。それは、レンガでできた高さ1メートルほどの壁だった。そこから下を覗き込むと、暗いながらも何かが足元の方へ流れていっているのが分かる。
「ここ、橋だったのか」
書き書き。手帳の地図に橋と川を書き込んだ。
そしてさらに先へ進む。
「やっぱり町はなさそうだなぁ」
30分まで残り5分を切っているのを見て、ため息をついたとき。
いきなりライスはその口を強くふさがれてしまった。
「……しっ」
前を歩いていたはずのユイが、声をひそめて唇の前に人差し指を立てる。
まばたきをしない目、肌から緊張が伝わってきて、ライスはごくりとつばを飲んだ。
「しゃがんで、ついてきて」
「あ、ああ」
ユイは2人を先導し、道端の草むらに身を隠させる。そこには、すでにほかの者たちもいた。
「――ついに見つけたぞ」
ぎりぎりと歯噛みしつつ、岩造がつぶやく。ライスはその視線を追うように草むらの上からそろそろと下の草原を覗き込み――思わずあっと声を上げそうになって、あわてて口を両手でふさいだ。
巨大な樹の枝らしきものに開いた闇の亀裂から、続々と魔族の兵が姿を現していた。2列に並び、足並みを揃えて現れる彼らは、目前に広がる草原に、ゴーレムのような巨躯の魔族を中心とし、密集方陣を組んでいく。その整然とした秩序立った動きは、まさしく統制のとれた軍隊のものだ。手に持つは剣と槍、身を覆うは鋼の鎧。
完成した方陣は軽く30を超えていた。大軍勢だ。
だが何よりも彼らを驚愕させ、激怒させたのは、その後ろに続いて現れた人間たち。裏切り者の存在だった。
左右非対称のツノを持つ、少女のような魔族の後ろに勢揃いしたその数20。距離がありすぎて男女の区別もつかないが、フォルムは完全に先までの魔族と違う、人間のものだった。
「……よし。全員ゆっくりと下がれ。仲間の所まで戻るぞ」
そうつぶやいたときだった。
時計がピーッと鳴って、30分が経過したことを知らせた。
「わわわっ」
あわててオフにするライス。
「ばかっ。切ってなかったの!?」
小さな音だ、気付かれなかったかもしれない、との期待もむなしく、魔族はあきらかに彼らの潜む茂みを指差し、騒いでいた。
「――くそッ! みんな走れ!! 橋頭堡まで走って、このことを知らせるんだ!!」
クロイスが立ち上がり、リベットガンを連射した。