空京

校長室

【重層世界のフェアリーテイル】重層世界、最後の戦い

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【重層世界のフェアリーテイル】重層世界、最後の戦い
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   第10章 イブリス

 刹姫・ナイトリバー(さき・ないとりばー)は、足元の血痕を爪先で思い切り擦った。
「やはりこの世界は偽りの姿だったのね……。けれど、私の『闇』が告げている。あの男は『本物』だと」
 ぐるり、と周囲を見回す。人影はない。刹姫はすうっと息を吸い込んだ。
「いるのでしょう? 貴方ほどの使い手が、そう簡単に果てるはずがないわ」
  そう、やっと見つけた同じ「深淵に近い者」。
「いつまでも眠っている場合ではないでしょう。私と同じ属性を持つ者ならば、共にこの闇の果てに参らなくては」
 決して、手放すわけにはいかない。
 刹姫の声が、木霊する。
 返事はない。
 ――いや。
「あの女、誰に何言ってるんだ……?」
 石の陰から覗き見ていた仏滅 サンダー明彦が、首を傾げた。
 彼と平 清景はイブリスを探すために遺跡へやってきた。本部がこの地下にあることは協会で聞いて知っているが、いかんせん、一度も行ったことがないので道が分からずウロウロしていた。
 そこへ刹姫たちがやってきたので、転がっている大きな石の陰に隠れたのだ。
 さあ、と清景もかぶりを振り、
「関わり合いにならない方がよいでござる」
「そうだな。じゃ、行こうぜ」
と背を向けた瞬間つんのめって、明彦は清景の背中に倒れ込んだ。
「何だぁ!?」
「お、重いでござる……」
 見れば二人の足元が凍りついている。
「何じゃ。あ奴かと思うたが」
 黒井 暦(くろい・こよみ)が明彦を踏みつけ、見下ろした。下の清景が「ぐぇ」と潰れた蛙のような声を出す。
「な、何だ、てめえはっ!」
「何人たりとも、サキの邪魔はさせん」
 暦の手の上で小さな氷が舞っているのを見て、明彦は青ざめた。
「ま、待て、ちょっ……!!」
 明彦と清景の叫び声と、刹姫がイブリスを呼ぶ声が遺跡に木霊した。


 永倉 八重(ながくら・やえ)はパートナーのブラック ゴースト(ぶらっく・ごーすと)と別れ、山中を彷徨っていた。
 ブラック ゴーストはこれまでの無理が祟り、動けなくなってしまった。最後の力を振り絞って【SPリチャージ】を使い、八重に「老ドラゴンの血」を渡した。
 八重は今の闇黒饗団を倒すため、イブリスの協力が必要だと考えた。遺跡から左程遠くない場所にいるに違いないと踏み、高峰 結和(たかみね・ゆうわ)エメリヤン・ロッソー(えめりやん・ろっそー)と共に歩き回っていたが、気づけば山深いところに三人はいた。
 というのも、エメリヤンのパラミタセントバーナードが血の臭いを辿ってここまで来たのだが、途中でぷっつり途切れてしまい、そこからの行き先が決まらなかったのだ。
 結和の使い魔であるフクロウが飛んできて、彼女の肩に止まった。
 やはりイブリスを探すレイカ・スオウ(れいか・すおう)カガミ・ツヅリ(かがみ・つづり)からの簡単な手紙がついている。
「何か手掛かりが?」
と八重。結和はかぶりを振った。
「【ディテクトエビル】を使って、探したそうですが……操られた魔術師にばかり、出会ってしまったそうです」
「それはまた……」
「戦力維持のためにも、戦わずに逃げたそうですが……」
「戦うのは無謀ね……」
 レイカの手紙は、合流したいと結ばれていた。八重たちとしても手掛かりがない以上、少々危険だが【ディテクトエビル】に頼るしかないと考えた。それに敵と鉢合わせした場合、人数が多い方が有利だ。
 もう一度飛ばせたフクロウが、レイカたちを連れて戻ってきたのはしばらくしてからだ。
 程無く、八重とレイカは【ディテクトエビル】に反応する邪念を感じ取った。
「さあて、五度目の正直となるかな……」
とカガミが呟くと、結和はびっくりして目を丸くした。
「四回もだったんですか?」
「ひょっとすると、【ディテクトエビル】はハズレかもな」
 イブリスが未だ敵なら別だが、八重が考えるように正気に戻っていたなら、反応するような邪念を持っていないかもしれない。
 そうカガミは続け、ともかく反応のあった方向へ、エメリヤンと共にそっと偵察に出た。
 近づくにつれ、恐ろしいまでの殺気が空気を伝わってくる。
「そう何度も奇襲はやらせないわ!」
 叫んだのはティアン・メイ(てぃあん・めい)だ。同時に魔術師が凍りつくが、たちまちそれも溶けてしまう。
 高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は氷雪比翼を矢の代わりにし、【神威の矢】を使った。逃がすことを許さず、それは魔術師の一人に当たったが、本来の使い方と異なるため、真の力を発揮できないらしかった。
 二人の後ろに遂に求めてみた人物を見つけ、カガミは「よし!」と声を上げた。
 そのとたん、ティアンが彼らを認めた。
「新手か!」
 白の剣で切りかかるのを、飛び出した八重が大太刀【紅桜】で受ける。
「私たちは敵じゃない!」
「騙されるものですか!」
 突いて引き、突いて引き、ティアンは軽々と白の剣を操り、八重を追い詰めていく。今この段階で、ティアンは敵ではない。故に八重は【古代シャンバラ式杖術】を使うべきか迷った。
「ティアン!!」
 玄秀が鋭い声で呼んだ。ハッと振り返ると、二人の魔術師たちに追いつめられている。
「シュウ!!」
 ティアンの脳裏から八重のことは消え、くるりと向きを変えるとシュトラールから光線を放った。光に一瞬、魔術師たちがたじろぐ。
 そこにレイカが【雷術】を、カガミが【轟雷閃】を、玄秀が【稲妻の札】を使った。さすがの魔術師たちもこのトリプルコンボには耐えられなかったようで、白目を剥いてばったりと倒れた。ローブからは煙が上っている。
 ティアンの肩を借りて立ち上がった玄秀は、八重たちに目を向けた。
「念のために問いますが、僕たちと戦うつもりですか?」
「いいえ。私たちは協力をお願いしたいのです」
 結和が進み出た。
「……無垢なる魂か」
「覚えていてくださいましたか。その節は、事情も知らずに口を出して申し訳ありませんでした」
 幹に寄りかかって座るイブリスの傍に、結和は膝をついた。胸を抑える彼の手をそっと外し【命のうねり】で傷を治していく。破れたローブの隙間から、くっきりと刃の傷跡が見えた。
「……礼を言う。自力での再構築には、少々、力が足りんでな」
「これをどうぞ」
と、八重が「老ドラゴンの血」を渡す。体力を大幅に回復させると説明すると、イブリスは遠慮なくそれをローブの下にしまった。そして、
「協力、か」
と自嘲気味に呟く。
「『大いなるもの』を眠らせ、この世界を存続させたいのです。それが、あなたの望んでいたことだったのでしょう?」
「私は、『古の大魔法』が欲しかった……」
 レイカがぽつりと言った。「それがあれば、救いたいものを救えると思ったから。でも、あれは人の手に余るものだった、そうですよね。だったら私は、この世界を守りたいと思います。それは人の手を超えた思いでしょうか?」
 カガミは微笑んだ。レイカらしい答えだと思った。レイカに「悪」は似合わない。たとえ我が身が犠牲になろうとも、彼女が堕ちるのは望まない。
 だが、イブリスはどうなのだろう。まだ、己の意思を貫くつもりなのだろうか?
 イブリスは幹に手を突きながら立ち上がった。差し伸べた結和の手は払う。
「貴様らに言われずとも、メイザースは吾輩が裁きの時をつける。貴様らの手は借りん。が、どうしても来たいと言うなら、拒みはせん」
 玄秀はイブリスに共感していた。彼の思想ではない、饗団の目的にでもない。ただ、己より優れた者――エレインやメイザースといった、超えられない存在――への憎悪に。
 それを吐き出し切るまで、とことん付き合ってやろうじゃないかと玄秀は思っていた。ティアンは、そんな玄秀をただただ愛おしげに見つめていた。