空京

校長室

創世の絆第二部 第一回

リアクション公開中!

創世の絆第二部 第一回

リアクション



大世界樹 意思


 大世界樹の内部には、幸せの歌が響いていた。
 リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)ティエン・シア(てぃえん・しあ)の奏でる歌は、二人の眼前で繰り広げられる熾烈な戦いとは対照的な、澄んだ歌声が鳴り響いている。
 二人の歌声にはそぐわない、武器を打ち合う音、叫び声、雄たけび、セラフィム・アヴァラータが動くさいの大世界樹の軋む音が響く。
「ぐあっ」
 セラフィム・アヴァラータの攻撃を受け、高柳 陣(たかやなぎ・じん)が吹き飛ばされる。背中をしこたま壁にうちつけて、くぐもった声を出す。
 息を呑むティエン。
「俺に構わず思いっきり歌ってやれ!」
 片手を壁に、片手を笑い出す膝において、陣は立ち上がる。そこへ、チャンスと見た大蟲が襲い掛かった。
 満足に動けない陣は、睨み返すしかできない。大蟲の重たい拳が振り下ろされるその寸前、十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)の抜刀術『青龍』が大蟲の無防備なわき腹に決まる。丈夫な甲殻は冷気を伴った攻撃に深い傷を負い、もんどりうって地面に倒れた。倒れたところに、間接の隙間に獲物を差込み、仕留める。
「そうだ、続けろ。大世界樹にわかってもらうまで」
 振り返らずに宵一は告げて、次の敵に狙いを定める。

 ここに辿りつくまでの道で、大蟲は何度も敵対してきた相手である。硬い外骨格に、高い身体能力、さらに格闘技能を備え持った大蟲は、単体でも群れでも厄介な敵だ。
 だが、何度も何度も敵を打ち払ってくれば、対処法も自然と身についてくる。硬い甲殻といえど、間接部分はやわらかくなければ動かないし、他にも口や目の部分など一撃で仕留められる弱点もある。あとは、大蟲に対応できるだけの身体能力と判断能力さえあれば、事足りる。
 その点で言えば、ヘクトルは観察眼から身体能力のあらゆる部分で、目標値を大幅に上回っていた。彼にたかる大蟲は、その端から一撃で葬りさられていく。
「私の手助けなど不要といった活躍ですね」
 その傍らに立つ風森 望(かぜもり・のぞみ)は、呆れたようにそう口にした。大蟲程度では、立ち止まらない。
「そうでもない」
 大蟲は地面だけでなく、天井や壁にはりついて動き回っている。望はヘクトルの動きを邪魔しないよう、そういった外側の敵をドラグーン・マスケットで攻撃をしかけていた。動き回る的を全て一撃で、とはいかないが、大世界樹に傷をつけないよう慎重に狙いを定めているため、命中率は百パーセントだ。
「もう少し手返しよくいきませんの?」
 大蟲二体相手に手間取っていたノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)が不満を漏らす。
「当たり所が悪いと貫通するんですよ、お嬢様」
「大世界樹に傷をつけないってのも、大変ですわ」
 ノートは改めて、自分達がどれだけ厄介な立ち回りを要求されているのを痛感した。

 やはりというか、仕方ないというか、大世界樹内部において、セラフィム・アヴァラータはその能力を十全には発揮できていなかった。だが、それでも動けば大世界樹を傷つけ、強烈な一撃はまともに受ければ突入部隊の契約者にとって大打撃となる、危険な敵には変わりない。
 大世界樹への傷を増やさないためにと、通用する手段が少ないせいでうかつに攻め込めない状況下で、ついにエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)の堪忍袋の緒が切れた。
「大世界樹からの憎悪、か。……お互い様だッ! そのおかげでニルヴァーナは滅び、パラミタも崩壊の危機に瀕している。で、自分の子が大切だからと全てを明け渡そうとしている……ふざけるな! 人を信じるくらいなら全てを捨てる方がいいか? 世界樹のくせに手前勝手な……だったら、俺達人は、その力だけで切り抜けてみせるッ! ここに突っ立ったまま、余所者に救われるのを黙って見ていろッ!」
 ここまで何度も、大世界樹の妨害工作によって足を止められ、回り道を強いられてきたというのに、ことここに至って、大世界樹は沈黙を決め込んだまま―――抗うでもなく、今がどんな状況かわからないでもないはずなのに、大蟲とブラッディ・ディヴァインに好き勝手させている。
「ちょ」
 パートナーの思わぬぶち切れに、ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)は目を丸くした。
 言いたい事を言い切ったエヴァルトは、目の前の大蟲を殴り倒し、さらに黙々と敵に攻撃を仕掛ける。すごく、声をかけづらい。
「……でも、確かにそうだよね。世界を救いたいなら、好き嫌いとか人と世界樹の違いじゃないよね。大世界樹は、どうしたいんだろう?」
 危険な敵との戦いの中、答えをみつける暇なんてなく、大蟲の攻撃がロートラウトを戦場に引き戻す。とにかく、今は戦わないといけない。
 エヴァルトの声は通路を響きわたるほどのもので、それを耳にしたサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)は目をぱちくりさせたあと、白砂 司(しらすな・つかさ)に、
「あんなこと言ってますよ」
 と声をかけた。
「いいんじゃないか、本心からの言葉なら」
「え? いいんですか。だってあれ、喧嘩売ってますよね?」
「言葉は少し乱暴だが、仲違いの原因になったのは俺たち現代の人間ではないとしても、彼ら、その時代の人間と俺たちが違うということは、言葉では証明できん。俺たちが何をするのか、行動で示す事は必要だ」
「行動、ですね」
「ああ。それに、人は言葉だけでなく心でも嘘をつくことは―――」
「あ、あれ!」
「どうした、人の言葉を遮って……あれは、どうしたんだ?」
 二人は、いや、その場の全員がその光景に目を奪われた。
 セラフィム・アヴァラータの体にヒビが入り、装甲がぼろぼろ崩れ落ちているのだ。やがて、銀色の機械の天使はその場に膝をつき、限界に達したのか消えうせる。
 誰もがこの光景に驚いた。セラフィム・アヴァラータに誰も、破壊できるほどの攻撃を仕掛けていないのだ。勝手に崩壊が始まり、勝手に消滅した。
 もしも、悪趣味な見世物でないとすれば、その原因は一つしか浮かばない。セラフィム・アヴァラータの親であるギフトを持つ、ルバートの身に何かあったのだ。
「この瞬間を逃す手立てはないな」
「はい。大蟲もブラッディ・ディヴァインも、ここで倒します」
 契約者達の戦意は大きく向上し、互角に近い戦いが一転、攻勢に転じた。



 まず最初に、ファーストクイーンが感じたものは安堵だった。
 ザインの問いに言い淀んでしまったが、自分の体に戻る事ができるかどうかは、彼女自身にもわからなかった。大世界樹と繋がっているため、拒絶されればどうなっていたかはわからない。
 大世界樹は肉体へ戻るファーストクイーンを拒絶したりはしなかった。血の通う身体の感覚は、まだ戻りはしないものの、いずれ慣れていくだろう。
 身体に戻る事ができたという事はもう一つの意味がある。大世界樹は、ファーストクイーンの言葉に耳を傾けようとう意思表示をしたという事だ。
 ファーストクイーンの肉体の傍らで、ラクシュミは手を伸ばした姿で固まっていた。何かが起きているのではなく、肉体に戻ってから時間が経過していないのである。この世界は、ファーストクイーンが自分の身体で見ているものではなく、大世界樹が見ている世界を一緒に見せてもらっているのだろう。
 自分の周囲だけではなく、外の様子も、大世界樹の内側も、さまざまな場所の状況が今この時に限り、手にとるようにわかる。
 大世界樹だけではなく、世界樹の森の全てが、風の流れから落ちる雫の一滴まで、繊細に丁寧に、大世界樹は伝えてくれた。
 歓迎しよう、ファーストクイーン。
 揺らぎのような言葉が、ファーストクイーンに流れ込む。
「大世界樹よ、どうか」
 言葉がかき消される。
 空の彼方の雲が流れていくような、小さな身じろぎのあとに、静かに大世界樹はファーストクイーンに語りかけた。
 焦らなくていいよ、ゆっくりと話そう。
 大世界樹は諭すようにそう告げる。外の様子は気にしなくていい、ここの時間の流れは外とは違うからと、さらに付け加えた。
「はい」
 ファーストクイーンは、焦っている自分の思考を自覚し、うなずくように返事を返した。
 大世界樹は彼女が落ち着いたのを待って、では何から話そうか、と声をかけた。



 真っ暗闇だった。
 だが、どこか暖かい。侵食と相克の合間で失われた感覚だった。だからルバートは、それが記憶の残滓、夢なのだろうと自覚した。
「ここは―――そうか、私は大世界樹に食われて」
 意識がはっきりとしてくると、先ほどまでの出来事も鮮明になっていく。肩の傷はと視線を向けるが、暗闇しか見えず手を触れて確認しようにも、身体の感覚が無い。
 ここはどこだろか。大世界樹に取り込まれた事は思い出したが、それが正しいのならばここはその内部になるだろうか。
 傷の痛いはそもそも感じていなかったから、この状況だと傷の具合を判別することができない。
「……こう静かな夢は、久しぶりだな」
 今度こそ、ゆっくりと休む事ができるだろう。後悔を感じるような意味ある生など無かったし、とっくに何もかも終わっているのだ。どこで息をしなくなろうと、何も変りはしない。
 暗闇の中を漂うルバートは、ノイズのような何かに気づく。
 それは、遠くから、近くから、あるいは自身の内側から、砂を噛むような感触を伴って彼に何かを伝えようとする。
「今度は、貴様が私の眠りを妨げるか、大世界樹よ」
 ノイズは収まらず、ざりざりと音を立てるが、しかし何を伝えようとしているのか、ルバートにはわからなかった。