空京

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創世の絆第二部 第一回

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創世の絆第二部 第一回

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大世界樹 撤退


 外套の下に着込んだ鏖殺寺院制服をちらちらと見せながら、蘆屋 道満(あしや・どうまん)は捕まえた捕虜に声をかけた。
「カーディナルはこのような失態望んでおられまい」
 ヘルメットを外されたブラッディ・ディヴァインの兵士は、まだ若い青年だった。青年は、怪訝な顔で道満を見る。道満は超霊の面で顔を隠している。
「……」
「……」
 もともと敵と味方に別れた相手だったが、そういうのとは違った気まずい空気が流れた。これは、そう、友人だと思って背中から声をかけたら、全く知らない人が振り返った時のあの感じによく似ている。
「どうやら白のようでありますな」
「そうか」
 その様子を隠れて見ていたマリー・ランカスター(まりー・らんかすたー)が姿を現すと、道満は外套をしっかり羽織り直した。
「あんたら、何をして遊んでるんだ?」
 青年は青年らしく、ごく素直な感想を口にした。
「遊んでるわけではない」
「楽しませるつもりはありません。それより、聞きたい事がある。つい先ほど、新たなインテグラルらしきものが確認された。兄さん達が用意した秘密兵器について、語ってもらいたいのですが?」
「インテグラル……だと?」
「ここは大世界樹と世界樹によって聖域となっていると聞く。その目をだまして、どうやってインテグラルを内部に持ち込んだのだ?」
 青年は、二人の言葉の真意を確かめようとしたのか、じっと二人を睨みつけた。だが、そういった細かい作業は苦手のようで、すぐに諦めて笑みを作る。
「違うぜ、お二人さん」
「ほう。では説明してもらいましょうか」
「俺達の当主は……いんや、俺達のほとんどが、この血に化け物の因子を受け継いでんだよ。秘密兵器でもなんでもねぇ、そいつは、ルバートのおやっさんだ。くくく、悪いなおやっさん、『俺は人間として死ぬ』ぜ」
 何か嫌な予感を感じ取ったマリーが、道満を引っ張っりつつ地面に伏せた。直後、爆発。咄嗟の判断が功を奏し、二人は軽いかすり傷程度で済んだ。
「用心に用心を重ねて、腕の骨まで折ってあったのだがな。音声のスイッチまでとは徹底しているな」
 立ち上がり、汚れを払い落としながら道満は真っ黒こげの青年だったものを見た。
「こりゃ始末書ものね。捕虜に自爆されるなんて」
 マリーはわざとらしいため息をついて、どう報告したものかと考えた。捕虜を自爆させた事もそうだが、青年が言った化け物の因子という言葉が、妙にひっかかる。
「ひとまず、オレは着替えておこう。あらぬ疑いはかけられたくないものだからな」
 道満はそこまで着心地が悪くないであろう鏖殺寺院制服を、一刻も早く脱ぎたくてたまらないようだった。



「あ、あれにどうやってコレ書いてもらおうかしら」
 瀬名 千鶴(せな・ちづる)が抱えた紙の束と、黒いパワードスーツらしきものを見比べて呟く。
「ボールペン、握りつぶしそうですね」
 テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)も少し気後れしているようだった。
 千鶴の持つ紙束は、履歴書の束である。これは、大世界樹に契約を行うための必要書類としてかき集めたものだ。そこには、大世界樹に契約を挑む人の、氏名年齢住所職歴などの個人情報に、希望する勤務形態や、自己アピールの文章が添えられている。
「で、で、どうする?」
「大蟲もいるようですね……」
「素直に近づいて、履歴書を書いてもらうとか?」
「そんな、近づいたら襲われますよ。絶対。話が通じるようには見ません」
 履歴書の準備によって一足遅れた二人は、黒いパワードスーツの周囲に仲間が倒れていたこと、それを回収するため命がけの特攻が行われた事を知らない。
 ただ、飛び交う噂などから「あれがルバートらしい」という大事な情報は耳にしていた。
「何をしている、撤退だ」
 そこへ、クレーメックが草薮を掻き分けて現れた。
「撤退?」
「そうだ。まだ残っているのが居ないか探していたが、案の定だな。現状こちらに、あれに対抗する手段が無い。一時引く」
 撤退の音頭を取るのは、もともと多くの将兵を従えている新星の面々が執り行っていた。全体のあちこちと連絡が取りやすいためである。
「でも、大世界樹との契約を防ぐあれとかそれとか」
 混乱しつつ、千鶴がそう口にする。
「言いたい事はわかる。だが、とにかく今は撤退だ。奴が、大蟲とにらみ合っている間にな」
 よく観察すると、大蟲が一方的に黒いパワードスーツらしきものを警戒するのがわかる。敵か味方が、大蟲は図りかねているようだった。彼らが何を持って、ブラッディ・ディヴァインとそれ以外を分類しているのかはわからないが、あの黒いのはそのどちらでもないという事なのだろう。
「急ぐぞ」
 クレーメックが二人に背中を向けると、そこへ珍しく強い風が吹き込んだ。どこかで魔法が使われたのかもしれない。その強い風は、千鶴の持っていた大量の紙を舞い上げ、よりにもよって黒いパワードスーツのところに向かう。
 ひらひらと動く紙を、いらついたのか黒いパワードスーツは腕を振るって切り裂いた。さらに続く紙、それを打ち払う黒いパワードスーツ。
「個人情報が」
「……一体何なのだ、あれは?」
 紙の詳細を知らぬクレーメックが呟く。そんな彼らの視線の先で、事態が動いた。黒いパワードスーツの動きを、威嚇と取った大蟲はそれを敵と判断。大挙をなして襲い掛かったのだ。
 戦いは、一分と待たずただの殺戮へと変化した。互いに武器らしい武器は持っていなかったが、黒いのは大蟲を握りつぶし、叩き潰し、踏みつけて砕き、一方的な蹂躙を行う。大蟲は徐々に戦闘能力の差を理解し、逃走を試みるが、そうした者からまるで選んでるように追われ、潰された。
「……酷いものだな。だが、大蟲の駆除をしてくれるというのなら、こちらの手間も省ける。行くぞ」
 今度は二人とも素直に撤退に従った。
 履歴書は、うん、火に撒かれて消失した事にしておこう。



 ラクシュミに肩を借りながら、奥からファーストクイーンが戻ってきた頃には、ヘクトル達を襲撃した大蟲とセラフィム・アヴァラータは片付いていた。
「セラフィム・アヴァラータの使い手は、大蟲の残してさっさと逃げたらしく取り逃がしてしまったが」
 ニコラ・フラメル(にこら・ふらめる)が暗闇を見据える。その通路は、セラフィム・アヴァラータによってこじ開けられた道だ。
 身体に戻ったばかりのファーストクイーンは、さすがに本調子とは言い難いらしく、一人では立っているのも難しいようだった。その身体で、ここまでの道のりを再び通るよりは、敵がこじ開けた道を通る方が負担も少ないだろう。
「それで、その。大世界樹は何と……」
 誰もが聞きたいと思っていたが、中々口にできなかった事を、ラクシュミの代わりに肩を貸した五月葉 終夏(さつきば・おりが)が尋ねた。残っていた精神力で、ファーストクイーンに大地の祝福をかけるが、効果はなかった。負傷や不調ではなく、身体を動かすという事を久しく忘れていたためのものだからだ。
「大世界樹は、ブラッディ・ディヴァインの者との契約を思いとどまってくれました」
「思いとどまって……か。契約しようという意思があったとも取れる言い方に聞こえるのだが」
 と、ニコラ。
「……大世界樹は、ブラッディ・ディヴァインの思想や行動方針にあまり興味は示してはいなかったようです。ただ、ルバート個人に関心があるようでした」
「そんな、こんなに酷い事する人たちなのに!」
「私には大世界樹の意思の全てはわかりません。ですが……疲れてしまったのかもしれません。本来なら、もっと早く滅んでいたこの地を、大世界樹は一人で繋ぎとめてきました。美しく、光に満ちていたこの地が荒廃していくのを一人眺めながら」
「だから、この世界はもう滅んじゃってもいいって?」
「そこまでは、考えていないでしょう。そう思っていたのならば、私の言葉に耳を傾けてはくれなかったはずですから……。ただ、これから最後を迎えるとしても、今度はあがいたりせず運命を受け入れると、そう大世界樹は私に伝えました。そうすればこれ以上、世界が捩れたりはしないとも」
 喋りつかれたのか、ファーストクイーンは一度言葉を切った。
 彼女に負担がかからないように、一向は大蟲やさらなる襲撃に警戒しながら慎重に進んだ。途中、何度か戦闘の痕跡の発見もあった。逸れた仲間も、途中途中で合流する。
 今度は、大世界樹による道を塞ぐような妨害は行われなかった。
「大世界樹は、言いました。この大地の運命は、今を生きたいと願う人と、全てを滅ぼしたいと思う人の両方に等しくあるのだと。滅ぶ事を受け入れず、生きる事を渇望できなくなった自分は見守るのが筋である、と。その結果がどんなものであろうと受け入れると。私の言葉では、大世界樹の意思を動かすには至りませんでした……ですが、一つだけ約束を取り付けました」
「約束?」
「はい。もしも、世界を救いたいと思う者が、その運命を勝ち取ったならば―――この世界の為に、もう一度力を貸して欲しいと」
 それが、ファーストクイーンの精一杯だった。ニルヴァーナが今のような姿になった責任を感じている彼女には、大地が滅んでいくのを何もできずに悲しんで眺めるしかなかった大世界樹に投げかけられる言葉は多くは無かった。
「外だな」
 最後の最後まで、襲撃はなく一向は無事に外までたどり着いた。入り口の前にはキャンプが用意されており、負傷者の治療の他に、炊き出しなどが行われている。
「ああ、眩しい」
 いつ以来の光だろう。
 ファーストクイーンは目を細め、まだ少し震える手をかざした。



 相変わらず真っ黒なままの世界。
 身じろぎすらできず、ただその黒い世界に取り残されていたルバートの前に、金色の光が降り立った。
 六対の羽を持つ金属の天使、セラフィム・ギフトだ。
「また、くだらぬ質問を繰り返すつもりか」
『伝言を伝えます。あなたは、多くの子らを殺した。その罪を償う前に、自我を捨て暗闇に沈むなど許されはしない。わが子の力を持って、その身と心を守ろう。もうしばし、苦しむがよい』
「その伝言の主は誰だ」
 わかっている事を、あえてルバートは尋ねた。
 セラフィム・ギフトはその問いに答えず、ゆっくりとルバートに近づくとその身を腕で貫いた。突如爆発した眩い黄金の光が、ルバートの意識を遠ざける。

 大世界樹の内部から、外に大きく開いた穴から様子を伺う人影が一つ。久我内 椋(くがうち・りょう)だ。
 そこから見渡せる範囲には、鬱陶しい契約者の姿も、気色悪い大蟲の姿もない。ひとしきり視線をめぐらせてから、振り返る。
「大丈夫ですか?」
「ああ、今はもうなんともない」
 自分の腕を確かめるようにさするモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)はそう答えた。彼が目を覚ましたのは、ほんのさっきで、それまでは気を失っていた。
「ギフトに何かあった、と考えるのが妥当ですね」
 契約者どもを追い詰めていた最中、突然モードレットは苦しみだし、その場にうずくまった。セラフィム・アヴァラータは消失し、ギフトの親に何かあったと判断した椋は彼を連れて撤退。
 まではよかったが、大世界樹のあちこちに分散してうろつく契約者のために、脱出するのに手間取ってしまった。二人が万全なら力任せもありだったろうが、気絶するモードレットを抱えては危険が大きすぎる。
 そうしてなんとか、来た時には無かった外に繋がる大穴を見つけるところまでたどり着いた。外に出れば、撤退のルートは既に頭の中に入っている。
「死んじまったのか、あの野郎」
「それはわかりませんね。傍受対策に、こちらから取れる通信手段は限られてますから」
 一応、まだモードレットの腕には銀色の腕輪がある。さすがに、目立つセラフィム・アヴァラータとここで召還するわけにはいかない。
 二人は木々の陰に隠れながら、撤退ルートを進んでいく。幸いにも、そもそも人の気配すら感じない。既にあいつらは目的を達して帰っていったのか、思えば大蟲も見当たらないではないか。
 そうして進んでいくと、異臭が彼らを出迎えた。その臭いを二人は知っている、大蟲の体液の臭いだ。
「おいおい、こりゃ穏やかじゃねぇな」
 周囲一体の世界樹が伐採され、そこにゴミを捨てるように大量の大蟲の亡骸が、原型を留めないまま転がっている。大蟲の殺され方は、人の手でやったようにはとても見えない。例えば、イコンを使って握りつぶしたとか、そういう類の圧殺のされからをしたように見える。
 その中央に倒れる人影あり。見通しがいいので用心しながら近づいていくと、それはまさしくルバートだった。
「……まだ、息はありますね」
 先に近づいた椋が確かめる。
「おいおい、随分とまっさらになっちまってんな。セラフィム・ギフトに嫌われたか?」
「まだ息があるなら、あとで本人に聞いて確かめる事もできますよ。ここに置いていくわけにもいきませんし、運びます」
 椋がルバートを肩に担ぐと、再度周囲の様子を確認してから二人は撤退ルートに戻った。
 拾ったルバートは、二人のよく知っている彼の姿とは少し違っていた。ギフトと謎の力の浸食によって、見るに耐えなくなっていた彼の皮膚は、まるで普通の人間のようになっていたのだ。そして、腕にあったはずのセラフィム・ギフトを制御する腕輪が無くなっている。
 何の問題も起きないまま、三人は目的の撤退地点にたどり着いた。幸いなことに、まだ未練がましくここでルバートの帰りを待っていた隊員が残っており、置いてかれるなどの厄介ごとも起きなかった。
 ルバートの身を預け、二人の長かった一日も終わった。

「やってくれるわ、大世界樹め」
 一時的に意識を取り戻したルバートは、それだけ呟き、またすぐに意識を失った。ほんの僅かに見えた世界は、遠い記憶の底にあった、真っ当な色を持った世界そのものだった。