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リアクション
世界を産むために 1
「もしもし……」
ローラ・ブラウアヒメルからの電話に、声が弾む。エルサーラ サイジャリー(えるさーら・さいじゃりー)の表情は明るかった。
ここはイーダフェルトの中央神殿部内、リファニーとネフェルティティによって、世界産みの儀式が進められようとするまさにその場所だ。
ここで【鋼鉄の獅子】隊所属のエルサーラは、ネフェルティティの間近で護衛につく予定である。イコンはあえて、修理のユニット取り用としてラグナロクに置いてきた。
これは志願した結果であり、イコンに搭乗できないことは不満ではない。むしろ、「世界産み」の瞬間を間近で見られる二度とはない機会を与えられたものとエルサーラは思っている。
「ローラ、そっちの進み方はどう? ……そう、頼もしいわね」
儀式の設営は粛々と続けられており、エルサーラもペシェ・アルカウス(ぺしぇ・あるかうす)も作業中だが、両手が空くようヘッドセットフォンを装着したこともあって、電話中もエルサーラの作業速度は落ちない。むしろローラと情報を交換し、エールを送り合うことによって、ますます活発化しているといえた。
「私も頑張るから、ローラもしっかりね」
ローラとの短い会話は、この言葉をもって終了した。
単純と言われれば否定できないが、それでもエルサーラは、ローラと話すことで気合いを入れ直すことができたように感じていた。決して楽観視できないこの状況においても、『なんとかなる』と活力が沸いてくる。ローラも、そう感じていてくれたら嬉しい。
「エル、ネフェルティティちゃんたちの椅子、こんな感じでいいですよね?」
ドングリのような丸っこい目をくりっと輝かせ、ペシェがエルサーラを見上げていた。小さな尻尾がぱたぱたと揺れている。
「そうね」
エルサーラは儀式場を見回した。準備は進んでいた。
ポムクルさんたちの活躍もあって、この場所はもう、ネフェルティティを迎えればいいだけの状態になりつつある。飾り付けは荘厳で、掃き清められた舞台には塵一つ落ちていない。
短い時間でよくぞここまで――と自分たちを褒めたい気分だ。
だが改めて気合を入れよう、本番はここからなのだから。
一旦、エルサーラはその場から姿を消したが、間もなくしてネフェルティティを案内しながら戻ってきた。
国家神、ネフェルティティ・シュヴァーラ。
豊かな黒髪と理知的な蒼い瞳を持つシャンバラの女王だ。
ペシェはあまりのまばゆさに思わず、小さな手でその両目を覆わずにはいられなかった。
ネフェルティティが歩むたび、その足跡の一歩一歩から黄金の光が立ち昇り天に吸い込まれていくように見える。まとう空気も清涼で、その視線だけで、すべての毒が浄化されてしまいそうだ。普段に増して今日のネフェルティティは、あらゆる意味で神々しい。
エルサーラもネフェルティティのかたわらを歩きながら、まるで自分が巨大な光源を連れているような錯覚に襲われていた。
しかし、エルサーラは知っている。
ネフェルティティもまた、血肉をもったひとつの肉体であり、その内側には傷つきやすい魂を宿しているということを。
そしてまた自分たちが、そんなネフェルティティの双肩に、あまりに重き宿命を課しているということを。
ゆえにエルサーラは、こらえきれず小声でネフェルティティに告げていた。
「あなたたちが担ってる大変な責任を思うと、心が痛い……私も一緒に頑張りたいんだけど、どうしたらいいの?」
するとネフェルティティはこたえたのである。
「特別なことをする必要はありません……ただあなたが、新たな世界のためにしたいと思うことをしてください」
そして彼女は微笑した。
同時にネフェルティティは目の前に、ペシェの姿を認めている。
「はい、どうぞ」
ペシェは多少、緊張しながら彼女に席を勧めた。
「ありがとうございます」
「前にボク、ネフェルティティちゃんに『お野菜がたくさん食べれるといいな』ってお願いしたよね」
ちょこんと頭を下げ、ペシェはネフェルティティを見上げた。
「だからやっぱり新しい世界も、美味しいお野菜がたくさん食べられる世界だと嬉しいな。ネフェルティティちゃんはどんな世界がいいですかー?」
「そうですね……」
ネフェルティティはふふっと笑った。
「そんなあなたが、嬉しそうにしている世界を望みます」
ペシェの頬は、ぱっと紅くなった。
またその場には、佐倉 美那子(さくら・みなこ)と吾妻 奈留(あづま・なる)もいた。
「さあポムクルさんたち! 急いで儀式場の準備の仕上げをするわよ!」
「仕方ないのだー」
さすがのポムクルさんもこの非常時には働き続けてくれるようだ。
「私も手伝います」
神々しい感じのネフェルティティが袖を捲くるように気合をいれて、ポムクルさんたちに続く。
「だめだめ! ネフェルティティはこれから大きな仕事があるんだから」
「ですが……」
「女王はどーんと構えてなって!」
極めて明るく美那子はネフェルティティの側に寄り添って、その背中を叩いた。
「ほら、リファニーさんもカケラさんも笑って笑って〜
今からそんな仏頂面じゃ、顔カッチカチになっちゃうよー」
そういわれたリファニーもカケラも神妙な面持ちだった。
「……そうですね。私は恐怖してはいけない。ですがやはり、難しいですね」
『私は突然現れて、あなたたちに大変なことばかりさせています……
どんな顔でいればいいのか、少しわからなくなってしまって』
どうやらまだ戸惑っているようだった。
「そうだよね。難しいよ、すっごく」
話を聞いていた甲斐 英虎(かい・ひでとら)がリファニーの前に現れる。
「また負担かけちゃうし、ごめんね」
「いえ。そんなことはありません。私にしかできないことだと思いますので」
「……皆のこと信じてるんだね。もう、頑張れなんて言えないくらい頑張ってるんだね」
リファニーの言葉からあふれ出す信頼に、英虎はそう漏らした。
「あら、先ほどみたいにうろうろ、そわそわと落ち着かないのはやめたのですね。
トラなのに熊みたいでしたわ、さっきは」
「ちょ、ちょっとちょっとそういうことは言わなくていいって!」
甲斐 ユキノ(かい・ゆきの)の思わぬつっこみに英虎は少し狼狽しながら制止する。
「……ふふっ、そんなことがあったのね」
『あははっ……』
「いや、その、なんか落ち着かなくってさ」
他愛のない談笑、それがリファニーとカケラの心を解きほぐす。
『“私、こんな何でもない時間がとても愛おしいです。まだ手放したくありません”』
カケラが力強くそう言った。
「……まあ笑ってもらえてなにより、かな」
二人の少女の笑顔を前にして、この笑顔がみれるならまあいいかと思う反面、
この笑顔は絶対に守ると心に誓う英虎。
と、リファニーは、誰かの言葉を感じ取る。それは厳しくも暖かい何か。
「……ありがとう」
リファニーの心に暖かさが更に灯る。
そんな彼らの横では、シャレム・アシュヴィン(しゃれむ・あしゅう゛ぃん)、シャヘル・アシュヴィン(しゃへる・あしゅう゛ぃん)がポムクルさんと一緒になって罠を作っていた。
「これをこうしておけば、頭が炸裂するのだー」
「いや、これ、やりすぎだろう……もう少しソフトにいこうぜ?」
シャレムはポムクルさんに罠を作ることを提案したが、
そのあまりの出来と想像できる光景が凄惨すぎたため、他の罠を作ろうと提案した。
「しっかりと守備をしなくては、仲間たちに申し訳が立ちませんからね」
「ああ、そうだな。まだ死にたくなんかないし」
「そうなのだー」
ポムクルさんたちもやけにやる気の模様。……何か裏がありそうだ。
「ポムクルさんたち随分とやる気ですねー? 何かあるのですか?」
明るくペシェがそう問いかけると、ポムクルさんはズバリこう言った。
「“熱海が待っているのだー”」
「他にも箱根、草津、由布院、別府、登別、有馬、黒川、城崎、下呂、奥飛騨、全部制覇するのだー」
有名温泉の名を連ねるポムクルさんたち。恐らくこの働きを引き合いに、行くことを要求するのだろう。
「女王様もそれくらいはしてくれるのだー」
「……わかりました。善処いたしましょう」
「やったなのだー!」
「働くのだー!」
ポムクルさんは跳ね回りながら、大急ぎで儀式場の準備の仕上げに取り掛かる。
「あんなこと言っちゃっていいの?」
「ええ。頑張ってくれるお礼ですから、ひとつくらいはどうにか」
「でも、あの様子だと全部……」
「私は善処する、としか言っておりません」
そう言ってネフェルティティはウインクを一つエルサーラにしてみせたのだった。